オウム真理教を追究する


 さる平成16年2月27日、「地下鉄サリン事件」など13の事件で殺人罪に問われたオウム真理教・松本智津夫=教祖名・麻原彰晃が一審判決で死刑とされた。
 そこでテレビはいろいろとその日に報道特番を編成してオウム真理教について解説者などを呼んで語り合っていたんだけれど、核心に触れた結論(報道)は出ていないように思えた。
 そこで、今回、このページではテレビの言えないようなことテレビが知っていて言わないようなことを「僕が教えよう」と書くことにした。




目次

1.テレビの白々しい「謎かけ」的報道

2.なぜオウムに魅力があるのか?

3.解答の前に

4.麻原彰晃という男

5.オウム真理教とは?

6.オウムは本当に仏教の一派か?

7.カルマの法則で現在(いま)に至る麻原

8.麻原に説法してやる

9.なぜそのような惨事になってしまったのか?

10.オウムの信者たち

11.国松長官狙撃事件の罪がないのは?

12.テレビが超能力に関して報道しない理由

13.第2、第3のオウムに成り得るものとは?

14.まとめ

?.ノストラダムスの予言の正しい解釈




.テレビの白々しい「謎かけ」的報道



 平成16年(2004)2月27日、フジテレビ系『スーパーニュース特報』(15:00〜16:59)で安藤優子がこんなことを言った。


安藤「なんで、あーゆう人間に一万人以上の人間が信じてくっついていったのか分からない。このいろいろな事件の最終的な結論を出すためには、あのなぜが解けないと、本当にこの一連のオウム事件というのは何時までたっても終わりが来ない。そんな気がする。」


 どの局の報道特番を見ても(テレ朝系は見てないけど)、だいたいこういうような事が論点とされ話されてたんだけど・・・、その安藤の問いに解説者の有田芳生がこう答えていた。


有田「オウム真理教の後継団体のアーレフを見てみると(背景を探ってみると)、“この社会ではいけない”とか、“自分の身体をよくしたい”とか、家族関係、親子関係の問題を抱えてる人が多い。だから寄る辺なき社会から、もっと安心できる居心地のいい所に向かって行ってしまう。それに対して、アーレフはインターネットなど様々な方法を使って信者を獲得したり、メールを使って“ナナコ”っていうあたかも女性であるかのような名で接近し、関係を深めて信者にしてしまうというのもあるので、その背景にあるもの。今の若者たちの心っていうものを日本社会は考えないと、麻原に死刑判決が下ったけれど問題の根本の土壌となる所は変わっていかない。


 ・・・。支離滅裂って感じかな・・・。僕はバカなので有田さんの言っている意味が理解できないんですけど、この文面から見ると一言でいえば、安藤優子に「そうですね」で済むことを長々と言っているように聞こえるんですけど・・・。
 アーレフの背景を探れば、問題を抱えてる人が寄る辺なき社会からより安心できる所に行こうとする? それに対してアーレフはメールなどを使って関係を深めて? えっ? 深い関係にして? 信者を獲得する? 

 「それに対して」ってことは前文の否定だよね? それで、「今の若者たちの心っていうものを日本社会は考えないと」って言うことは投掛けだよね? それで最後に「問題の根本の土壌となる所は変わっていかない」としめてるんですけど、問題の根本の土壌となる所って具体的になに? 僕たちに投掛けるくらいなんだからその根本を知ってるんじゃないんですかあ? 投掛けるってことはこの場合、「よく注意して運転しないと・・・」というような結果を知っている時によく使うよね。 なんか無責任な発言だなあ・・・。

 テレビ(そしてそれに携わる人)はそれを見てきたし、それを知っているはずなのに「この問題はこれで終わりじゃなくて、今からが始まりなんだ」とか言って、まるでドラマの第一話から“To be continued”みたいにドラマを制作している側は知ってるけど視聴者には「さあ、これからどうなるのかなあ?」と無知な民衆に演じて楽しんでるようで歯がゆさを感じる。

だから、僕がそれらを知ってるのでこれから書く。 




2.なぜ、麻原彰晃(オウム真理教)に魅力があるのか?


 この「なぜ」について答えを出す前に、先に書いた安藤優子の話(問い)を参照していただきたい。

 実はテレビは、このなぜっていうのをもう既に1995年の段階でテレビの番組の中でやってるんですよね。なのに、なぜ、現在(いま)、そのような論争が出るのかなあ・・・?

 がむかし録画したビデオのチェックをしている時に、偶然みつけた貴重だと思われる番組があった。それは、1995年5月10日午後19:00からしていたフジテレビの報道特番で、『FNN 緊急報道スペシャル』と銘打ったオウム報道の特番であった。この特番は急きょ予定してた番組を返上してやってたらしく、このビデオには30分間しかとれてなかったけど内容的には、


「新宿青酸ソーダ事件」〜目撃証言が語る犯人像・オウムとの接点〜

「独占手記・オウムにすべてを奪われた」〜オウムの素顔を紹介〜

「教団崩壊」〜“洗脳”信者の危険な結末〜


 ・・・などいう大変興味深い内容をやってたわけなのですが、その30分間しか録画されてなかったビデオには、当時のオウム真理教西信徒庁長官の都沢和子の指名手配のことを上佑史裕との関係とかワイドショーのように(ワイドショーか・・・)やっていて、次に「新宿青酸ソーダ事件」をやってたのですが、どんなことをやってたのかというと、この事件の犯人に結びつく不信人物についての目撃証言を入手したと。で、その人物は逃走幹部の手配写真に酷似していたと前ふりしてこのような証言を放送していた。



 5月5日、目撃者のAさんは犯人と思われる2人組を新宿のトイレの中で目撃した。
 Aさんがトイレに入ると隣のトイレの中(大便の方)で2人が話をしていた。
 
 「もれなかったか?」
 「大丈夫です」
 「間違いないのか?」
 「ほんとに大丈夫ずら!」(静岡、山梨県でよく聞かれる方言らしい)

 Aさんは不信に思いながらトイレを出て髪をとかしていら、男がトイレから出てきた。丸坊主の男。するともう一人もトイレから出てきた。手には銀の発泡スチロールの箱を持っていた。

 さんがチラリと見ると2人はそそくさとトイレを後にした。
 目撃者Aは後をつけた(尾行)。
 道路をわたり、柱の影に立って2人を視界にとどめた。

 すると、突然2人が奇異な行動を見せた。
 後ろを指差すかのような動作。両方の親指をつき出し(Goodをやる手のポーズで)後ろに何度も「何かがいる」というのを教えるかのように2人が同時に同じ動作をしていた。ちなみに、その2人は1度も後ろを振り返ってはいない(VTRを見るかぎりではね)。

 Aさんが一瞬あっけにとられた時、後ろから「よう、先輩!」と声をかけられ、振り向くと見知らぬ男が立っており、男は「人違いだ」と謝り、再び2人組をみるAさん。

 しかし、一瞬にして2人組は姿を消していた。後ろから声をかけた男も雑踏に消えていた・・・。




 っという目撃証言。テレビはこれを「実は3人組だったのである!」として、「薬品に詳しく、組織的な反抗、統制のとれたチームワーク」。それをオウムと結びつけていたが、これを読んでみなさんは何を感じられただろうか? 


 後ろを見てもいないのにA氏に気付いていた様子

 で、しかもそのA氏に指で「後ろを見てみな」と教えるかのような動作

 そして3人目の男の登場

 つぎに振り返ると2人組が消え、3人目も消えていた


どう思いますか?
 
それがオウム真理教=麻原彰晃の最大の魅力なのである。オウム真理教に入信したほとんどの信者はこれに魅力を感じたのです。 そうです。

超能力です。
 
 これは、昔はテレビでも報道してたみたいなんですが、最近、2月27日(現在が2004年3月11日 (木) 午後 09時43分)のニュースなどの報道関係の番組ではなかなかこの超能力っていう言葉を聞くことが出来なかった。

なぜだろう?

そのことについては後でふれるが、でも超能力っていう言葉が聞けたのは、僕が見たところ、TBS系の『ニュース23』でそういう言葉が出たけれど、「それが魅力だ!」とは言ってはいなかった。「そのような話題で勧誘する」みたいなことを言ってたに過ぎなかった。しかも、彼らはその超能力という言葉を出すのに、ためらっているようにもみえた。

なぜだろうね(笑)。

 フジテレビも「サリン70tで国家転覆を図ろうとした」とのみ言ってただけで、今まで報道してきたオウム関連番組の膨大な情報を再検討することもなく、今回はじめてオウム事件を知ったかのような安藤優子の言い方。
 安藤優子は1995年5月10日放送の『FNN 緊急報道スペシャル』でも出演してたし、こんなことも冒頭で言っていました。

 安藤「オウム真理教が目指していた野望の帝国とは一体どんなものだったのでしょうか?」

 ・・・。

 その時に超能力のことも出して説明したでしょうに・・・。少なくともその当時、「サリン70tで国家転覆を図ろうとした」とは言ってなかったと思いますよ。もっと核心に触れたことを報道してたと思います。有田芳生もその席にいました。だから彼もオウムと超能力は切っても切れない関係だということを知ってたと思うし、そういう事も言ってたと思いますよ。

 テレビの情報獲得量って他のメディアの追随を許さないと思うんだけど、安藤優子は9年もその仕事に携わっていていろいろ見たり聞いたりしてきただろうに・・・、9年前と同じ論争(問い)を今現在やっているってことは、そうとうバカしらばっくれてるかどっちかなんだろうね。・・・テレビとは本当に空しい存在なんだね。一言でいうと空しいよ。これじゃあ。
 9年間(いやもっと。十数年間だろう)、積み重ねてきた報道という情報量で出た答えが、

「オウムはサリン70tで国家転覆を図ろうとしていた」だけじゃあ、あまりにも空しすぎるぜ。



 麻原彰晃とオウム真理教の魅力とは? 

 その第一に、超能力というものに興味を引かれて入信した者が多い。
 あの空中浮揚の写真の影響はデカい。あの写真を見て衝撃を与えられたオカルトファンは少なくないはず。
 まあ、あれは滝本弁護士が言うには(『ニュース23』で)「合成写真」だと言っているんだが、確かに合成かもしれないけど、でもあの髪がふわっとなっているってことは宙に舞ってるときに出来るんじゃないかと思うんだけど。
 でも、そのまえにUFOとかの合成写真も専門家に見てもらって「合成か?」、「合成じゃないか?」を調べてもらうなりしたほうが、この論争は早いと思う。テレビとかでもUFOの合成写真の見極めを専門家に見てもらってたのを僕は見たことある。ちなみに『ニュース23』では「合成か?」、「合成じゃないか?」を専門家に見せるということを親切にやってくれてませんでした。 
 
 その他、いろいろ人により悩みっていうのがあるけれど、身体的なこととか精神的なこととか。それを解決する為に入っていったというのもあるでしょうね。
 でも、やっぱ超能力が大部分を占めてるとおもいますよ。 


 それでは、安藤優子の問いについて、次は「なぜ信じきってしまったのか?」ということなどを次のページで見ていきたい。




3.解答の前に



 なぜ信じきってしまったのか? なぜそのような惨事になってしまったのか?
 これらの問題を解いていくためには、まず、教祖麻原彰晃について、そしてオウム真理教がどのような宗教観念を持ちどういう宗教団体だったのかを説明する必要があると思う。

 僕はこのオウム真理教について書くにあたり参考にした書物があります。それをもとに書いているといっても過言じゃないのでそれを紹介したいと思います。
 それは宝島社が発行した『別冊宝島229 オウムという悪夢』(1995年8月15日発行)という本である。
 この本は冒頭に書かれているのを見ると3つのテーマを持ってかかれている。

 1.オウムをわずか十年で熱狂的な「宗教集団」に膨張させたものは何か?
 2.知的で優秀な(純粋で率直な)若者たちがどのような教義に惹かれ、自ら望んで洗脳されたのか?
 3.「衆生救済」の思想がなぜ無差別テロにつながったのか?

 これらは1995年という、そのさなかに編集されたもので、これって、今、現在(2004)、テレビが論点としているものとまったく同じじゃないかと思われる。テレビの現在の論争っていうのは「1.テレビの白々しい「謎かけ」的報道」のページを見てもらえれば分かるがテレビも特番などを組んでそういうのは昔やってたように思われるのだが・・・。

 この『オウムという悪夢』という本でも、冒頭でテレビをこう批判している。


 この本にはワイドショーなどのオウムの犯した「猟奇的」な犯罪の虚実を交えた事細かな事実などあまり書かれていない。

 ワイドショーでは事件記者がオウム経営の食堂に乗り込み、「ハルマゲ丼」、「ポア酒」などを「常軌を逸した悪ノリだ」と糾弾し、わざわざ注文して食べ、「味はまあまです」とレポートする(どっちが常軌を逸した悪ノリだ?!)

 我々は目に見えない情報統制の中で、カビのはえた正義の物語を再生産しながら、一連の忌まわしいささえも「情報商品」として消費していく。当事者以外はすべて野次馬、あらゆる事件は娯楽となる。「正義」を装うことで、覗き見趣味が免罪されるだけなのだ。


 そこで、『オウムという悪夢』という本では、本の編集に関してこのような方法をとっている。


 1.マスメディアから得た情報をもとに論評するのではなく、可能なかぎり現役信者、在家信者、そして脱会者の「生」の声を聞き、そこから考える。

 2.多くの信者と同じ三十代の書き手により、同世代の身近な問題としてルポルタージュしていく。

 3.80年代分化がどのようにしてオウムを産み落としたのか、詳しく検証する。

 4.単なる「犯罪者集団」ではなく宗教団体であるととらえ、宗教としての問題点を教義に沿って論じる。


 というやり方で書かれてあるので、テレビの何かを隠したような、なんというか、真実味のないVTRや無責任な解説者の「奥歯に物がはさまったようなコメント」なんかよりも、ずいぶん僕は参考になる書物であると思う(テレビもこれ読んだ方がいいんじゃないの?)。

 
オウムという悪夢


では、さっそくその本をもとに麻原彰晃という人物を見てみましょう。

 


4.麻原彰晃という男


 麻原彰晃。本名松本智津夫。彼は熊本県八代郡金剛村出身である。テレビによれば彼は生まれつき片目(左目)がほとんど見えず、6歳から20歳まで全寮制の盲学校で過ごす。

 “政治家になりたい”夢を持ち22歳で上京。しかし、東大をあきらめ針灸院で働く。ところが薬の販売業でニセ薬を売って82年6月逮捕される(当時27歳)。

 その1年半後、宗教サークル『オウム神仙の会』を開き、“麻原彰晃”を名乗りだす。(ここまではテレビより)

 '85年、オカルト雑誌『トワイライトゾーン』空中浮揚の写真が掲載される。当時はオカルトブームの最盛期であり、その中でもオウムは他の宗教やオカルトビジネスとは違っていた。

 「本物の厳しい修行を積んだ」と自称する教祖による、ヨガを基本とした「超能力獲得を約束する」というメソッドを売りにしていた。

 当時の雑誌『トワイライトゾーン』で麻原はこのように紹介されこのように語っていた。




 (彼が)修行を始めたのは八年前(すると麻原は21か22歳でやり始めたということになる)。そのきっかけは世の中に強い矛盾を感じ、一切がいやになったからだ。
 彼はすべてを捨てて修行に入った(テレビの言ってる事が正しければ、ウソ。彼は当時、盲学校か結婚して針灸院で働いていました)。

 麻原「自分にはたくさんの守護神がいて、彼らが私に修行法を教えてくれる」。かれらのひとりが“生きることを否定せよ”と言った。あるとき、“地球はこのままでは危ない”という声を聞き、彼はシャンバラ(地下にあり、最高の聖者たちが住むという国)を築く必要性を感じた。

 三浦半島で修行をしているとき、天の神が降りてきて、“神軍を率いる光のミコト”、つまり軍神を命じた。
 彼がシャンバラ建国にあたって戦さを用いてよいのかと悩むと、他の守護神たちが戦さを勧め、戦さの神になることを勧めた。彼は神軍を率いて戦うことを決意した。

 麻原「二〇〇六年には核戦争の第一段階は終わっているだろう。核戦争は浄化の手段。だが“人が自分の分け前を割いて人に与えよう”と考えないかぎり、浄化は終わらない。私が目指すのは最終的な国、完璧な超能力者たちの国。超能力の獲得とは神に至る道だ。完璧な超能力者の集団を作りシャンバラを確立すべく、自分を神に変える修行をした。」(また本文に“これらは当時報道されていたオウムの理念とあまりにも一致している”と書かれている。ということはテレビもこのようなことをかつて報道していたということである)。




 1986年7月にヒマラヤで「最終解脱」と曰われ、パイロット・ババとのツーショット撮影。
 ’87年2月にはダライ・ラマに謁見し、写真撮影(2/24)もする。
 '88年3月に「オウム真理教」と改称し、その年の9月ごろ、もう“田口さん事件”を起こす原因を作り、翌89年には“坂本弁護士一家殺害事件”を起こしている。その他、'94年“松本サリン事件”、'95年“地下鉄サリン事件”など数多くの殺害を指示したとされている。
 '90年2月には“政治家への夢”を実現さすために衆議院総選挙に出馬している。

 上の『トワイライトゾーン』誌で書かれている麻原はそうとうノストラダムスの“1999年7の月・・・”の予言を意識して言っていると思われる。
 “恐怖の大王が降りてくる”っていうのは「核戦争」のことだと思い、“マルス”っていうのはマルスはローマ神話の軍神のことだから麻原は自らを「神軍を率いる光のミコト」にしたのではないかと・・・。

 しかし、実はあのノストラダムスの予言ってのは正しい解釈というのがあって・・・、まあ、それは後で触れたりするが、でも、これから後に麻原は実際にノストラダムスの予言詩を研究するためにフランスに渡り現地の研究者たちと意見交換をして、その成果を自らの本『ノストラダムス秘密の大予言』(1991年)にまとめ上げているので、85年と91年にはひらきがあるけれど、それを意識して言ったんじゃないかなと思われる。


 では、雑誌『オウムという悪夢』から参考に“麻原言動集”を作ってみた。(文中のP〜はページ数。雑誌『オウムという悪夢』から抜粋したという意味)



 「世の中、いちばん大切なものは何だと思いますか? カネ、カネですよ」(P33 麻原が電話で)

「私が目指すのは最終的な国、完璧な超能力者たちの国」(P27)

「信者に肉断ちさせて尊師はビフテキ食ってる」(P54)

「尊師は自分で自分を怪物だと言ってるくらいだ」(P102)

「麻原さん、ほんとは弁護士一家を誘拐してんじゃないですか?」
麻原自分ではやってないと思う」
「でも麻原さんがコントロール効かないところで、若い奴がはね上がりでやっちゃったんじゃないんですか?」
麻原「そういう可能性はないとはいえない(P170)

「麻原は高級車に乗り、最高級の絨毯(ジュウタン)の敷かれた部屋で、メロンを食っていたという」(P148)

「人をパッと見て、その人が何を考えているか、どんなカルマを持っているか的確に見抜くんですよ」(P38)

「すごい方ですよ。神通力で人の心の状態、その潜在意識まで見抜かれるんです」(P94)

「オウム真理教はインチキ、金儲けの教団でなきゃ、マズいんだろう!」(テレビより)




 麻原という男は信者の話とかを聞くと、やはり超能力っていうのはある程度もってたと思われる。テレパシー的なもの? みなさんもこんな経験ありませんか?

 自分が話している時に何かを思った。そのときに相手に自分が喋ってもいないのに「あー、それそれ」って言われたことないですか?

 そのぐらいの超能力は麻原にはあったと思うんだよね。だからみんなを引き寄せることが出来たのではないかと思える。でもそういう能力ってカネに目がくらんだりしてそういうことに使っちゃうと能力が無くなっていくって言われてるよね。
 だいたい、麻原はそういう能力を無くしちゃったらただの人ですから、みんなが持ってるような願望、「高級車を乗りまわし、肉を食らい、女をはべらし」っていう。普通の俗人とおなじ発想で、あと、「(楽して)金儲けしたい」「政治家になって日本を変えたい」、それとか映画『超能力学園Z』のように「超能力もっていろいろ遊びたい」など、僕とそんなに変わらない願望で、僕もそんなことを考えてた時期がありましたよ。でも、あきらめっていうか、もう30ぐらいになっちゃうとそんな夢って思わなくなるもんなんだけど、彼はその夢を叶えられるぐらいの頭の良さもあっただろうし、その為に努力もしたでしょう。それに運も味方してそこまで行ったんだろうけど、僕も他の人でもすべてが嫌になるって時が必ずあるって思うんだよ。 その時の受けた経験っていうのが麻原にとっては「根にもつ」ことだったのかもしれない。
 僕だってありますよ。「あいつ殺したい」とかテレビなんか見てると「こんなしょうもないことする奴らみんな死ねばいいんだよ」とか。
 それを麻原はカネと権力をもったから実行したんですよ。そんなカネと権力を持たせると誰であろうとそんなことするんじゃないの? 自分が命じるだけで面白いように人が動くんだよ? 「ちょっと殺させちゃおうかなあ」という気になると思うね。俗人ならね。

 それから麻原ってけっこう率直な奴なんだなと思う。でもセコい!
 弁護士一家を誘拐したかどうか逮捕される前に尋ねたら、「自分ではやってないと思う」と率直な面もあれば「と思う」とか「部下がやった可能性が無いとはいえない」など他人に罪を押し付けるようなセコさがあると思うね。
 警察の取調べでも1995年9月に「事件の関与を認めた」ってことが1度だけあって「坂本弁護士一家殺害は認めた」がそれを「弟子のせい」にしているという、ここでも「率直」「セコさ」っていうのが見られる。

 確かにあんたはやってないよなあ。
 “部下のせい”にして自分だけ生き残ろうとするのは、まるで政治家と同じ、自分で責任とるのが嫌だから「すべて秘書がやったことです」で秘書に罪をなすりつけ終わらせてしまう。政治家だけじゃなくほとんどの人が「自分だけは生き残りたい(罪を免れたい)」と思う『蜘蛛の糸』のカンダタのではないか? だから麻原は率直なという良い部分があるんだから、何の正当性もない“ただの犯罪者”となってしまったことは残念だというよりは笑える。




5.オウム真理教とは


 ではオウム真理教は何を信者に教えていたのかについて書こう。

 まず、麻原は「真解脱者を3万人出す。そうすれば、オセロゲームで白の間の黒はすべて白にひっくり返ってしまうように世の中の“質”を変えることが出きる。」とテレビで語っていたそうだが「解脱ってなんだろうか?」というのが僕の疑問であった。
 
 〜オウム真理教の解脱の定義〜
 解脱とは経典『ヨーガ・スートラ』では“肉体機能を停止させて仮死状態を作る”秘法でこれが出来れば“解脱”とみなされるらしい。だから、オウムが信者を「土に埋めて何日いられるか」とか「水中に何分いられるか」とかさせてたんじゃないかとおもうが、麻原は当時“日本で唯一の最終解脱者”と称してたのでそれが出来たのか・・・。でも、テレビでやってた水中のやつで信者は15分ぐらい入られたんだけど麻原は3秒ぐらいですぐ上がってたと思うのだが・・・。

 仏教では“この世のすべての煩悩(ぼんのう)から解放され、迷いの苦悩からぬけ出て、真の自由の境地に達すること”だそうだが、最終解脱者の麻原はビフテキ食ってるし、俗世を捨てたというよりはしがみついてるような感じでとても“煩悩から解放された”とは言えないのでは・・・。

 
 そして、オウムの教理の中で重要なのは、“最終的に「空」に導かれること”だそうだ。
 それは“そら”と読むのか“から”と読むのか“くう”と読むのか分からない。本にそうかいてあるから。でも、オウムの理論では、当時('95)オウムの在家信者だった坂元新之輔という人はこう語る。

 自分23.5のデータで表す。これを修行によって払い落とすと解脱に達した状態では“0”(ゼロ)となる。これが本来の自分である。だからそれまで入っていた23.5のデータの自分は本当の自分ではない。他人を例にとって見るとその人は38.5のデータで表したとする、それはその人の本来の自分ではないので、その人もその人のデータを払い落としてゼロになれば、あなたもゼロ。自分もゼロでイコールだ。
 この段階に達したとき、あなたは私、私はあなたになり、利己の追求が初めて利他につながるようになる・・・っと。

 ・・・論理的には結構いいと思うが、麻原のビフテキ問題はその論理でいくとどう説明がつくのだろう? まあ、信者の考えようによっては「麻原にビフテキ食わせれば、それは自分に対して霊的パワーを授かれる原動力(精力)になる」とでもいうのだろうか?
 しかし、信者が何と言おうと麻原自身は「世の中、一番大事なのはカネだ」と言っている人である。僕にはとても麻原が“ゼロ”の境地に達した者の言うセリフではないと思う。

 話はそれましたけど、その“空”っていうものを身体でわかるためには、これまたオウムで重要な“光の体験”をすることなのだという。このオウムにとって重要な“光の体験”とはどんなものだろうか? 神秘体験のことだろうか?

 神秘体験はオウムの信者ならだいたいは経験しているという。では神秘体験とは? この場合の神秘体験とはテレビなどで言うならば“洗脳”とか“マインド・コントロール”だと思われる。


 〜オウム真理教式“神秘体験法”〜

 睡眠不足にし、ろくに食事もとらせず、何時間も修行を続けさせる。そうすると意識が朦朧(もうろう)とし誰でも幻聴幻覚症状が現れるようになる。

 これを高弟たちは「クンダリーニが上がって来た証拠だ」と言うのだそうだ。また、麻原尊師の“イニシエーション”からも神秘体験が得られると言う。それはどういうことか?


 〜教祖麻原による“イニシエーション”〜

 この麻原の“イニシエーション”はLSDを使用してやるという。LSDとは麻薬である。
 まず、麻原から直接液体を手渡されるらしい、そのとき麻原は何かの呪文をとなえて渡すという。その液体を一気に飲み干すと・・・。
 すさまじい閃光が脳の奥を走る。飲んだ瞬間、吐き気、頭痛が襲う。そしてテレビでよく見る“オウムのヘッドギア”(PSI)を装着される。数ボルトの電流を流し脳を刺激し、麻原の脳波を直接伝えるのだと言う。
 そして、次はマインド・コントロールにもっとも効果があるといわれている目に交叉信号を送る機械、“黒いメガネ”のようなもので、左目が赤、右目は青とか緑の光を別々に点滅させる。それによって、左右の目に強制的に信号を認識させるのだそうだ。
 さらにそのメガネをつけたまま、液体が入ったクッションの上で座禅を組むと、そのクッションが小刻みに激しい振動を繰り返す。

 LSD投与→→電流が流れてるヘッドギア→→チカチカするメガネ→→よく揺れるクッション

 そんなことを一度にされると幽体離脱しているような感じになったり、突然意識が別次元に飛んだようになったり、地獄の世界に落とされたような感じになったり、花園が見えたと思えばいきなり恐怖の世界に入りこんだような体験をするらしい。それを神秘体験と言うのなら、アーティストなんかは麻原なしでもよく神秘体験をしてるんでしょうねえ。

 神秘体験と言うよりは麻薬体験って言った方がいいのではないかと思うが・・・、でも、それでも神秘体験を体験していない者もいる。たぶん彼らは麻原の1回100万円もするイニシエーションを受けなかった人たちであろう。そういう人たちは予言を信じている人たちが多い。

 予言。麻原は多くの予言をしているという。当たったと思われるのもある。

 麻原は1995年当時、一月の初めに、「1月18日頃に神戸に地震が起こる」と予言しており、実際は1月17日だったわけだけど、「18日頃」って言ったし、的中したと言えよう。パチパチ。よく日時、場所までわかったね(笑)。
 他にもいくつか当たったのもあるし他の予言者と呼ばれる人たちよりはマシかと思えるが、当然のこと“ハズレ”もあるでしょう。

 ではこのようなものに興味を引かれオウムに入信したらどうなるか?

 @ 家族と連絡を断たなければならない。
 A 財産をすべて教団に贈与しなければならない。

 これは出家の場合なのですが、在家信者も多額の御布施を強いられるらしい。まあ、イニシエーション(麻薬体験? いや、神秘体験)でさえ1回100万円ですからね。それとか麻原の毛とか風呂の水がオークションで10万円ぐらいするっていうからすごいの一言に尽きる。


 あと、オウム信者がよく口にするのが“身体的な知”とか身体的リアリティである。
 



6.オウムは本当に仏教の一派か?


 オウム信者がよく口にするのが“身体的な知”とか“身体的リアリティ”である。信者はこれが「内的体験」なのだと言う。でもちょっとまてよ? 身体的な知っていうの体を知ること? 異性の? 身体的リアリティって体の真実性ってこと?
 それって唯物論じゃん。

 あの23.5のデータで“ゼロ”になるって話のところを読んでみると、どうやら彼らの言っている“内的な体験”っていうのは睡眠不足と栄養不足による修行か尊師の麻薬体験による幽体離脱のことを“身体的な知”とか“身体的リアリティ”もしくは“空”と言うらしい。
 幽体離脱すると意識と身体が遊離することがわかる。そこで“その身体は本来の私ではない”とわかる。だから身体的な知(体を知る)とか言われるんじゃないかと思うけど、“身体的リアリティ”ってのはやっぱ唯物論だよなあ。矛盾した教義だあ。

 オウム真理教は仏教のセクトと言われている。 
 麻原自身も仏教にたいへん詳しく、「よく勉強してるなあ」と思うほど仏教に関してはすごい知識を持っている。もっとも、かりにも「仏教の集団だ」と称するならそこまで詳しくないと教祖なんてやっていけないだろうけど・・・。
 あの23.5のデータで“ゼロ”になるって話も仏教のことらしいが、僕が思うにそれは“無我”のことを言ってるんじゃないかと思うんだけど、とにかく麻原は利己的なので“無我”(無私)の境地には達していないし、オウム真理教っていろんな宗教の都合のよい所をブレンド・ミックスしてるんだけれども、その中でも麻原が強く影響を受けたのはヒンドゥー教(ヒンズー教)であると思う。


〜麻原とヒンズー教の類似点〜

@ まず、オウム真理教の“オウム”っていう言葉自体がヒンズー教の言葉omに似ている。
Aオウムは“シヴァ神”主神としているところ。シヴァ神ヒンズー教の破壊神である。
B選挙のときに象のぬいぐるみつけて踊ってた人たちいたでしょ? あれなんかシヴァの子の“ガネーシャ”を意識して作ってたと思うし。
Cオウムの“教団ビデオ”で麻原が空中浮揚をやろうとしてるシーンがあるんだけど、そこではトラか何かの毛皮を敷いてやってたんだけど、それなんかはシヴァ神の絵を見れば分かるけどシヴァもトラか何かの毛皮を敷いて座っている。


 もう一つ言いたいのは麻原を呼ぶときに使う“尊師”という言葉。それを聞いて僕が思い出されたのはインドのサティア・サイババである。
 麻原はもしかしたら、サイババに憧れていたのかもしれないと思えてならないんです。サイババはむかし日本のテレビにもたびたび出てたので知ってる人もいると思うけど、インドではシヴァ神の化身とされ尊神と呼ばれ崇められている人物である。
 そして、サイババも超能力を使うことができ(話に尾ひれが付いているものもあると思うけど確かに超能力は持ってるし使える人です)、オウムで説かれているようなカルマの法則(これについてはあとで詳しくふれる)のような“前世”とか“来世”とか言っている。

 尊師尊神。そして超能力カルマ。サイババと類似する点もみられることから、麻原もサイババのようになりたかったのではないかと思われる。


ガネーシャ

 

シヴァ



 

7.カルマの法則で現在(いま)に至る麻原


 オウム真理教には“カルマの法則”というものがある。
 “カルマの法則”とは「善行」を行えば「善行」が、「悪行」を行えば「悪行」が自分の身に返ってくる事で仏教ではこれを“因果応報”という。オウムが仏教集団なら“カルマ”のことを“業”(ごう)とか、“因果応報”というはずなのだがインドのサンスクリット語で言っているのは興味深い。

 さて、その“カルマの法則”だが、やはり“原因”と“結果”があるわけで、その報いもそれ相応に受けなければならない。
 あのオウム真理教教祖・麻原彰晃をとってみても、そのオウムが説く“カルマの法則”に照らし合わせてみると納得のいく答えが出る。
 
裁判所やテレビなどの言っていることが事実なら、
麻原“田口さんを殺害”させ、
“坂本弁護士一家を殺害”させ、
“松本にサリン”を撒かせ、
“落田さん、冨田さん、浜口さんを殺害”させ、
“仮谷さんを拉致し死亡”させ、
“地下鉄にサリン”を撒かせたり、
その他いろいろな悪行を提案、指示したので、今現在、死刑判決が下され、牢獄の中でくさい飯を食っている。

 というふうに説明できる。これはオウム真理教、いや後継団体のアーレフにもその“カルマの法則”を適応するならこのようなことがいえるだろう。

オウムの後継団体アーレフはそれを創った教祖麻原の悪因の悪果を背負わなければならないので、今現在、世間から悪い印象でみられ、38億2186万4607円の賠償金を支払わなければならない為、魂の救済どころではなくなった。


 “カルマの法則”、“因果応報”。まったくその通りだね。アーレフもいいこと知ってるんだね。じゃあ、これも読んでちゃんと理解しとけよ。


 

8.麻原に説法してやる


 では、次にこの僕がオウム真理教教祖・麻原に説法をしてやろうと思う。特別サービスだ。
 ※ Q&Aはサイト『尊師に聞く』(http://am20.tripod.com/amk/kiku.html)から引用(コピー)、Aは麻原の説教、赤字は僕のコメント。


オウム真理教とは?


三つの救済(神奈川薬業会館)1992/06/06

Q.尊師がオウム真理教をお始めになられた動機というか、きっかけのよう
なものがありましたらお教えください。



A.オウム真理教の基本的な考え方に「三つの救済」があります。 この三つの救済とは何かというと、まず第一に、病苦からの解放。 これは今、中野の方に「オウム真理教附属医院」というのがありまして 実際問題としてガンを死滅するための特別な治療法ですとか、あるいは エイズに対しての研究ですとか、あるいはその他の難病に対して、ヨー ガ的・仏教的なものを取り入れながら病苦から解放させると。 その病苦から解放させることをきっかけとして、真理に目覚めさせ、そ して高い世界へと転生させるということが一つですね。


それから第二番目は、現世の苦悩からの解放と。 これは、生き方のスタイルが間違っているがために苦しみが生じている と。 よってそのスタイルを、少しずつ変えていただくことによって、現実的 な生活をより良くし、それによって豊かな心とそして高い転生へ向けさ せると。


それから第三番目は、解脱・悟りへ至らせるための救済と。 これは、お釈迦様も説いていらっしゃるとおり、十数段階の段階があり ますから、その段階に合わせた形での救済計画を展開すると。 そして、この三つを展開していくためには、どうしても団体が必要であ ると。それは、例えば本を一冊作るにしろ、著者がいればすむわけでは ないと。 例えば、現代では売れる本しか出さないと。 売れる本ということはどういうことかというと、当然煩悩的な、皆さん の煩悩を満足させるような本しか出せないと。 ここで、思想的な、あるいは宗教的な本を出す場合、当然本を書き、そ れを編集し、そしてデザインし、そしてそれを写植に打ち、そしてスキ ャナーを使ったり、あるいはレタッチを使って、次は刷版に至り、そし て印刷すると。 そして印刷したものを裁断し、一冊の本に仕上げるといったような本を 作るまでの過程と、そしてその本を書店に実際に並べる人たち、そうい う人たちが必要になってくると。 そういう救済計画を展開するためには、教団が必要であるということで オウム真理教は発足したわけです。

ほー、初心忘るべからず。俺は金儲けが目的だと思ってた。



真理(京都教育文化センター)1992/06/13

Q.オウム真理教は、大乗の教えなのですか。 それとも小乗の教えなのですか。


A.オウム真理教の教えは、大乗でも小乗でもなく真理です。 というのはどういうことかといいますと、まず小乗の教えを完成したら 大乗の教えへ入るべきである、しかし、入らない魂は、そこでニルヴァ ーナに入ると。 そして、大乗の教えをより積極的に実践するためには、秘密金剛乗の教 えに入るべきであるというふうに考えています。 つまり、できるだけ早く高い悟りへ到達し、高い解脱をなし、そしてそ れを衆生に還元することが修行の目的であるということです。


ですから、オウム真理教の教えは、小乗、大乗、それから真言秘密乗、 それから金剛乗すべてを兼ね備えていると考えてください。

ニルヴァーナって“解脱”のことだったよね。それだけでいいじゃん。なんで殺人教義の真言秘密金剛乗仏教(タントラ・ヴァジラヤーナ)が必要なんだ? 悟れば(ニルヴァーナ)それでいいんじゃないのかあ? それで真理って何?



オウム真理教の由来(東京大学)1992/06/17
Q.原始仏教と深い関連があるそうなんですが、あえて仏教ではなくオウム 真理教として伝道活動を行なってるのはなぜですか。


A.では、”オウム真理教”という名の由来をご説明しましょう。 まず”オウム”というのは、サンスクリット語のア・ウ・ムという三つ の音(おん)を合わせたもので、無常、つまりこの世の中のすべての現 象は、変化し続けているものであって実体でないということを表わして います。


それから、”真理”というのは何かというと、これはお釈迦様も仏教を お説きになったわけではないんです。 というのは、お釈迦様の初転法輪、つまり初めてお釈迦様が弟子たちに 説法をなさったときに、これは「絶対の真理」であると、そして「真理 」とは「苦しみ」、「苦しみの生起」、「苦しみの滅尽」、「苦しみの 滅尽に至る道」であるという言葉を使っていらっしゃるわけですね。 ですから、当然原始仏教と同じ法則を説く場合、それは仏教ではなくて 「真理」でなければならない。 ということで、オウム真理教という命名がなされたわけです。

釈迦は間違ってるね。もちろん麻原も。「無常、つまりこの世の中のすべての現 象は、変化し続けているものであって実体でない」、まっ、それが真理かなあ。一言でいう事もできるけど・・・。



立場と目的(東北大学)1991/11/03

Q.オウム真理教の目的は何であるのか、また、キリスト教、仏教、ヒンド ゥー、イスラム、ラマ教等々の宗教を否定したところにオウム真理教は あるんでしょうか。


A.まずオウム真理教は、すべての宗教、といっても、一つの流れに属する 宗教は肯定しています。 それらの中に統一性があるはずであると。 そして、その統一された部分こそ真理であるというふうに考えているわ けだね。 というよりも、別の見方をするならば、オウム真理教の教えというのは 今から二千六百年前にお説きになった釈迦牟尼の、サキャ神賢の教えこ そすべての教義を内在しているというふうに考えているわけです。 それを証明しようとしてるわけだね。 これがオウム真理教の存在する意義の一つであると。 じゃあオウム真理教の目的とは何かというと、要するにその教義体系と いうものは、わたしたちを人間から神にし、そして――まあ、仏陀とい うのは実際あるステージであるから、ここではそれを包含する概念とし て、十の力を有する魂という言葉を使いますけれども――この十の力を 有する魂へと人々を変革していくことを目的としています。

じゃあ、真理を悟ってないわけだ。惜しいところは言ってるんだけどね。「それらの中に統一性があるはずであると。 そして、その統一された部分こそ真理である」。きみ、僕のサイト読んだ? 「十の力を 有する魂」? なんじゃそれ。



経典(大阪阿倍野区民ホール)1992/06/21

Q.オウム真理教ではチベット語やパーリ語の仏典の翻訳をされていると聞 きましたけれど、日本には昔からたくさんのお経があるのに、なぜ今オ ウム真理教でそのようなことをされているのでしょうか。


A.なぜ日本に漢訳の仏典があるのに、漢訳から訳さないのかということで すね。 実は、漢訳の仏典についてもある程度の翻訳はしています。 しかし実際問題として、漢訳だとサンスクリット語が中国語になり、中 国語がそのまま移入されると。 ところが、この中国語というのはクセモノで、その意味というのは時代 によって変わってくると。 とするならば、サンスクリット語→中国語→日本語という流れはあまり にも訳者の意図が入りすぎているがあまり、本質が理解できないという ことになるわけですね。 よって、原典といわれているパーリ語の最も完成された形で残っている スリランカの経典、パーリ三蔵の翻訳、あるいは、その経典の教えから 多くの成就者が出、その成就者によって展開されたタントラ・ヴァジラ ヤーナの教え――これはチベットに伝わるわけですが――その教えを翻 訳することによって、世界の仏教の本質というものを探ろうとしてるわ けです。 結論からいうならば、この”探る”という言葉は正しくないですね。 わたしも多くの真理勝者の弟子だった生があります。 例えば、例を挙げるならばヴィパッシー真理勝者だとか、あるいはカッ サパ真理勝者だとか――わたしの前生では、カッサパ真理勝者のとき、 わたしとサキャ神賢は法友だった生もあるわけです。 そういう前生の流れから、今日本に伝わっている仏典というものは、衆 生の済度に役立っていないというのがわたしの見解です。 だから、衆生を済度するに必要な経典、あるいはわたしが過去世におい て習い、そして修習した経典をできるだけ多く翻訳し、それをわかりや すい形で日本語に翻訳し、そして日本の人たちにそれを伝えること、こ れはオウム真理教の一つの使命だと考えているのです。

へー、それで殺人教義のあるタントラ・ヴァジラ ヤーナが一番だと思ったんだね。で、それを弟子に実行させたと。それと、あんたの前世はカッパか何かだったの?



偶像崇拝(信州大学)1991/11/01

Q.初期の仏教では、偶像崇拝を禁止していたはずですが、この本(オウム 出版の書籍)にあるような絵は、偶像崇拝に当たると思います。 そこらへんはいかがでしょうか。


A.サキャ神賢は、偶像崇拝を禁止したわけではない。 サキャ神賢が禁止なさったのは、仏陀釈迦牟尼以外のものについての崇 拝を禁止なさったんです。 だから、原始仏教を最もきちんと押さえているラオスにおいても仏像は あります。 それは日本の仏教の研究家の間違いです。 例えば、ビンビサーラ王がね、「何を崇拝したらいいか」と尋ねたとき、 サキャ神賢は「わたしの髪の毛を崇拝しなさい」といって、髪の毛を与 えられたという話がある。 これも一種の偶像だよね。 どうかな、それは。 つまり、心の内側にあるアートマン、真我だけに対する崇拝ではなく、 そのような形で具体的な、エネルギーのこもったものに対して崇拝する というのは、インド仏教の常識です。

このサキャ神賢っていう人も悟った人ではなかったんだね。麻原、お前もな。シヴァ神を拝むってぶっちゃけた話、偶像崇拝だからね。真我だけに対する崇拝だけでいいんだよ。あさはか。



真理は一つ(東京大学)1992/06/17

Q.僕は、真理は一つしかないと思っています。 で、世の中にはいろんな宗教団体がありますが、オウム真理教は真理な んでしょうか。


A.イエス・キリスト、あるいは仏陀釈迦牟尼、あるいはノストラダムス、 まあいろいろな予言者たちがいたわけですが、その予言者たちの予言の いろいろな項目を分析すると、次のことが浮かび上がってくるのです。 本当の意味での真理の灯明を灯す救世主は日本から現われる。 そして、それは七千年期、つまり、千九百年代の終わりである。 そして、その救世主の灯す法則こそが真理である。 加えて、その救世主の特徴としては、例えば半眼、つまり目が半分しか ない、つまり見えないとか、あるいは盲目であるとか、あるいは髭もじ ゃであるですとか、いろいろな形の表現形式がとられていますから、お そらくわたしのことを指しているんじゃないかなと。 これは、九十九パーセント間違いないだろうが、まだ百パーセント確定 していません。 でも、間もなくしたら、その内容についても皆さんにお知らせすること ができるんではないかと考えています。

お前の言ってるのはノストラダムスからだけの救世主像だろうが。イエスがそんなこと言ってたかあ? 「本当の意味での真理の灯明を灯す救世主は日本から現われる」?、「その救世主の灯す法則こそが真理である」? 俺のサイト読め。片目で髭もじゃでもないが。質問者はするどい。



創造主と仏陀(気象大学)1991/11/04

Q.キリスト教とかイスラム教は一神教で、超越的な神が存在するわけです が、仏教の場合の仏陀はすべてを悟った人ということで、神という形で 表れていません。オウム真理教においてはその神ということに対してど ういう見解をお持ちでしょうか。


A.まず、キリスト教、イスラム教における神というものは、千宇宙――千 の宇宙のただ一つの創造主いうことになってきます。 で、これは確かに正しいと。 なぜなせば、彼らの定義は、まず、性的交わりをしない神である。 そして、創造主であるといっています。 これは、インド・ヨーロッパ語族に伝わる宗教的な見地からいくと、ブ ラフマン、つまり創造主は、そういう要素を持っているわけです。 一方、最終的な真理勝者に至るのは、三千大千世界にただ一つの魂とい われています。 三千大千世界とは、千の三乗です。 つまり、十億宇宙の中でただ一つの魂、ただ一つの神だといわれていま す。 で、現に経典の中に、仏陀がそういう創造主といわれている魂――大神 聖天とオウムでは訳していますが――を教化する場面が多く出てきます。 よろしいでしょうか。

Q.では、釈迦牟尼は何回か生まれ変わって仏陀になったというわけですか。


A.正確な言い方をしますと、五神通を有してから、四アサンキャ十万カル パ――十万カルパというのは、この宇宙が十万回破壊された期間ですが ――後に仏陀となっています。 そして、釈迦牟尼は真理勝者になるまでに創造神を何生も何生も経験し ているのです。 わかりますか。 つまり、創造神を経験した後に、真理勝者となっていくんです。

・・・(開いた口がふさがらない)。創造神が真理勝者なんじゃないのかあ? でもいいとこついてるねえ。「ただ一つの魂、ただ一つの神」。



真理勝者のヴァイヴレーション(信州大学)1991/11/01

Q.仏陀である釈迦が悟りを開いた後に、人々に法を説いたときには、人間 の言葉もわからない動物もその教えに聞き入っていたというんですけれ ど、それについてはどうお考えでしょうか。


A.それは事実だと思うね。 というのは、真理勝者の発するヴァイブレーションというのは、大変神 聖なものであると。 例えば、オウム真理教でわたしが法を説くときも、例えばネズミがね、 わたしの体に乗っかってきて、体の上で遊んでいるという状態もある。 これは、動物界というものは、完全に動物連鎖によって恐怖を覚えてい るんだね。 ところが、仏教の修行の中に非害心、つまり相手を害さない修行、ある いは非暴力・非残酷という修行があるわけで、サキャ神賢の場合、恐怖 をまったく与えない心の働きがあられたので、動物たちも神聖な気持ち になれたということだよね。 それからももう一つは、これは物理の話しになるわけだけれど、人間が 聞いている可聴範囲の声ではなく、例えば低音範囲とか高音範囲には別 の成分があって、その別の成分は、動物に対して、一種のヴァイブレー ションとして会話することができるといわれいています。 ですから、それは正しいと思います。

俺は鳥が聞き入ってくれるよ。



真我(埼玉県秩父市)1987/10/02

Q.真我は、何をするためにマハー・ニルヴァーナまで入るのかということ と、入ってから真我は何をすべきなのかがわからないんですが。


A.いや、何もすべきじゃありません。 そこには自由がありますし、幸福がありますし、それから歓喜がありま す。 その状態で整っているので、何もする必要がないのです。


Q.そこに行くために真我が生まれてくるということですか?


A.いや、そうではないです。真我はもともと生まれてるんですよ。 生まれ出てるという表現もおかしいね。真我とは永遠にあったんです。 そして、これからもあるのです。 このコーザルの光が生じてから時が成立してるわけで、その時を超える 段階に真我はあるのです。

こやつ、分かっているのか分かってないのか・・・(苦笑)。真我。それが創造神なんだよね。2番目の質問の麻原の解答はいいね。



仏陀とキリスト(京都大学)1991/11/24

Q.イエス・キリストやゴータマ・シッダールタといった方々も解脱の最終 段階まで行かれたのですか。


A.少なくとも、ゴータマ・シッダールタが最後まで行かれたことは間違い ない。 イエス・キリストというのは、そういう解脱を目的としたのではなく、 微細な世界の神の息子になることを目的として法を説いているんです。 つまり、『タターガタ・アビダンマ』(最聖麻原彰晃尊師著・オウム出 版)で説明している宇宙観の中の、形状界の神になることを目的として 説いたのがキリストの教えなんです。 特に、この宇宙が存在しているときには神聖世界へ生じ、宇宙が存在し ていないときには光音天の世界へ生まれ変わるということを目的として 説いたのがキリストの教えなんです。

本当かよ。イエスが「微細な世界の神の息子になることを目的」としてた? 俺はイエスの方が真我を理解して説いてたと思うが・・・。



神の定義(京都大学)1991/11/24

Q.尊師が説かれる「神」というのを定義していただきたいんです。 神とはいったい何でしょうか。


A.神というのはいろんな神が存在する。 ただ、神についての説明をするならば、かなり時間がかかるんだよ。 というのは、例えば十七形状界にそれぞれ神は存在しているし、この愛 欲の世界にも七つの神が存在しているし。 要するに、神というのは人間より優れた生命体と。 当然、その中には創造主も含まれると考えてください。


Q.では、創造主とは別な神も存在するわけですか。


A.つまり、形状界の神聖世界の大神聖天を創造主といっているんです。 インド・ヨーロッパ語族に伝わる宗教の創造主はすべてその神を指しま す。 キリスト教も、実際、インド・ヨーロッパ語族的な影響があるわけだけ れど、ヒンドゥー教でいうところのブラフマン、これは創造主という意 味だけれど、このブラフマンと、それからキリスト教でいうヤハウェと いうのは全く同じ定義で経典には書かれています。 ですから、創造主はわたしたちが到達できる範囲の一部であるというこ ともまた間違いない、これは。


創造主はわたしたちが到達できる範囲の一部? それが「すべて」で全てが始まったのだよ。あさはかクン。



現世での成功(名古屋大学)1991/06/14

Q.日本の他の宗教は、皆現世での成功とか、現世で経済的にいかに利益を 得るかということをいうんですけれども、オウム真理教では、そういう 現世での成功と信仰とはどのような関係を持っているかをお聞かせ願い たいのですが。


A.まず、現世での成功というものは、宗教的な価値観からいったら遊びの ようなものであると。 これがまずオウム真理教の見解です。 言い方を換えるならば現世での成功もできないようでは、仕方がないと。 よろしいでしょうか。


Q.ということはある程度現世で成功しなければ、その解脱なり悟りも得ら れないということですか。 で、それに飽きた人が、解脱・悟りを得るんだということですね。


A.というよりも、それぐらいの徳と知能というものがなければ、解脱・悟 りはあり得ないということです。

現世での成功すら出来なくてすいませんでした! でもあんたよりも真理というものを知っているよ。



絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜(京都大学)1991/11/24

Q.低俗的な言い方かもしれないけれど、最終解脱に至って、幸せなんでし ょうか、今。


A.絶対的な自由・幸福・歓喜というのはあるよね。

高級車乗ったり、メロン食ったり、女とっかえひっかえしたり、ビフテキ食えたりするからなあ。


Q.それが自分にとって何なのか、そういうのはどうお考え出しょうか。


A.自分というものを止滅しているからね。

ウソをつけ!



尊師の来世(京都大学)1991/11/24

Q.尊師もこの世に肉体がある以上は、いつかはその肉体も滅ぶときが来る と思うんですけれども、そうすると、その後、尊師の魂はどうなるんで しょうか。


.経典からいくならば、俗にいうところの創造主の世界へ行くことになっ ているけれども、しかし、わたしとしては人間の世界へ行くのか、ある いは第一天界へ行くのか――つまり、そうだね、龍とか、あるいはガン ダッバとか、いろいろあるわけだけど――そういう世界に行くのか、ま だ決めてないと。


Q.え、尊師が決められるわけですか。


A.もちろん、わたしが決めます。 というか、最終の解脱というのは、決める権利があるんです。 というのはなぜかというと、つまり、例えばね、そうだね、ここに一か ら百までのカードを持っている人と、一しか持ってない人との違いなん だよ。 その一から百までのどのカードを選ぶかというのは、持っていれば選ぶ ことができるよね。 持っていなければ選ぶことはできないよね。 ところが、一般の人はそのカードを一つしか持ってないんだ。 つまり、今生で人間としての業が完全に切れた段階で、それまで 経験してきたものが次の生を形成するんです。

お前は畜生道が似合ってるんじゃないか?



最終地点(東京大学)1991/11/23

Q.仮に最後のステージまでたどり着いたとして、その人はどうしなければ ならないのでしょうか。


A.二つ道があって、一つはそこから大完全煩悩破壊といって、この世界か ら離脱して、もう二度とこの世界に帰ってこないという生き方と、もう 一つはそうじゃなくて、肉体を所有して多くの人のために真理の法を説 き明かすためにできるだけ長くとどまって、輪廻を繰り返すというか、 生まれ変わるという二つの生き方があります。


Q.尊師はどちらを採られているのですか。


A.わたしは後者です。

普通、解脱した奴はこの世に未練を持たないんだろう? 仏陀がそういう教えをしてたんだろう? なんか現世にしがみつきたいという俗人の考えだよね。



 麻原はよくその程度の知識で信者から「神だ」と崇められるなあ。認識不足だよ。まあ、一つ言えることは、宗教の創始者はまず俺のところへ来て、勉強して、それから宗教を創った方がいいんじゃないか。その究極の神意がしりたいならここに連絡くれれば無料で教えますよ。 


 

9.なぜそのような惨事になってしまったのか?


 麻原(オウム)って“様子が変わってきた”って言われてるのが「選挙で大敗して」からだとかテレビなどで言ってるけど、本(『オウムという悪夢』)などを読んでみると麻原がやったことは雑誌『トワイライトゾーン』で売り出していた当初('85年ごろ)から言っていたことなので結論からいうと麻原が突然変わったって言うことはない、むしろ何も変わっていないと言ってもいいぐらいだろうか。しいていえば、群衆の中で麻原が誰かにコヅかれたという事があったと思うけど、それからじゃないかあ(笑)。 ただ選挙で大敗してカネに困りだしたということはあると思う。

 選挙ってカネがいるらしいんですよ。“勝てば天国、負ければ地獄”のような。有名人とかで見ればよく分かるんじゃないかと思うんですけど、選挙に出る前までは順調にいってたのに選挙後、資金難で苦しんでるというものたちが・・・。例えば、プロレスの高田延彦。選挙前はUWFインターナショナルって結構栄えてて、各団体から選手呼んでトーナメントをやって勝者に一億円とかね。そういうこともやれるぐらいあったと思うんだけど選挙後に早くもUインターが経営困難で崩壊。原因は選挙とは言ってないけどカネが無くなったって事は確かだろう。あと横山やすしとか。あれも選挙前と選挙後では貧富の差があるからね。横山やすしも水道とか電気とか止められてたらしいよ。大敗すれば最悪だろうね。

 で、麻原は1700票ぐらいで落選したらしいけど、投票者はちゃんと松本智津夫って書いて出したのかなあ・・・? 麻原彰晃が本名だと思って書いた奴がいたら結構な票数を無くしたんじゃないかと思って・・・。

 話は戻すけど、麻原って、“金の盲者”っていうぐらい(訴えんなよ!)、カネ、カネ、カネ、カネ言ってた奴じゃん。自分でね(詳しくはここ)。あれって、捕まったときに1000万円ぐらいの札束を枕にして寝てたってテレビが言ってたことで納得いくし、雑誌『トワイライトゾーン』で当時(’85)から“シャンバラ建国にあたって戦さを用いてよいのか”とか言ってたんだし、麻原が突然変異したってことはないと思う。関係者の“信者たちの印象”もあまり変わったようには見えなかったと言ってるし・・・。

 “なぜそのような惨事になってしまったのか?”に関しては、やっぱり麻原が当初から持ち続けていた破壊的ヴィジョンっていうものを急進的に押し進めた結果ってことだろうね。

 麻原は一時期、「わたしはここに、わたしがキリストであると宣言する」(1991 10-24)と「キリスト、キリスト」と言ってた時期があって、普通ならさあ、新約聖書を読んだ人なら“マタイ24の5”や“ルカ21の8”とか読めば「自分は言うの避けよう」と思うんだけど麻原はそれ言っちゃってるじゃん。そういうところを考えてみると麻原は敢えてそう言ったんじゃないかと考えることもできる。
 それは“敢えて反キリストになりたかったんじゃないか”ということになる。他の言動でもそれを匂わすことを言ってるわけで。例えば、「来世は阿修羅界に転生する」(阿修羅はインドでは鬼神で、仏教では常に帝釈天と戦う悪神ともいわれている)とか、「第一天界の龍とか、あるいはガンダッバ」とかガンダッバって何かわかんないけど“龍”ってキリスト教では黙示録とかで“反キリスト”を指す悪いイメージの生き物なんだよね。それを麻原が理解して言ってたんだとしたらやっぱり麻原はキリスト教でいう“反キリスト”的な世界を崩壊(破壊)に導く者になりたかったんじゃないかと。

 それか、麻原は本当に自分がキリストになると予期していたのならある意味ではすごい奴かもしれない。なぜなら、“キリスト宣言”をして、イエスみたいに捕まって、裁判にかけられて、それで死刑になったんだから(まだ死んではいないけど)、ある意味では同じ運命をたどると。いうことなら、“キリスト宣言”もある意味ではウソじゃないなと思うね。

 それとか、麻原はあらゆるファン層を作りたかったか、自分が「キリストです」って言って不思議なことを見せてキリスト教の信者とかを獲得したかったとか・・・。大川隆法みたいなことして・・・。

 まあ、とにかく麻原のヴィジョンとしては・・・、

 「わたしは二〇〇三年に確実に核戦争が起きると思ってます」(1987/11/30 和歌山県・出張「真理の集い」での予言)

 「前世は 明国開祖、洪武帝(朱元璋)であった」、「1997年日本を支配し、2003年世界を支配する」と1994/2/22〜24の中国旅行で、“転輪聖王”を仮装時。

 それで、自分は破壊の神シヴァで、“ヨハネの黙示録”に出てくる破壊の神と化したイエス・キリストなのだと。
 そして、1997年まで時間が迫って来ている。そのうえ、警察による強制捜査も時間の問題だと。すべてが破滅という一言に集中してくる。 だからやった・・・。

 ・・・こんなとこだろうけど、自らの予言によって自らを追い詰めていったのかもしれない。が、そういう破壊的ヴィジョンっていうのは昔から持っていたものなんだということ。何時から変わったってことはないんだよ。

 しかし、麻原も宗教的には知識はあるけどまだまだってとこで悟った人間でもなかったけど、一般的な、つまり世俗的なことに関することなら、あんだけの事件を起したのにもかかわらずまともな考えを持ってるんですよ。例えば麻原が「真理党」出馬を決意するということがあったんだけど、その時の信者に対する解答っていうのがけっこう良くて、僕からみても「まともな意見いってるなあ」と思えるほどまともなんですよ。

シッシャ新聞89.8号より

 例えばね、私の娘であるカーリーとかあるいはドゥルガーの例を見ても、学校に行かせれば言葉は悪くなるし、それから不安定になると。しかし子供をそうさせているのは何かといったら、人々の心。それは、政治だよね。昔のように宗教が第一義に置かれ、修行者が第一義の地位にあって絶対的な力を振るえるんだったならば、別に政治に出る必要はないだろう。
しかし君達は、現代の政治家はけがれていると言いながら、ね、その政治によって支配されている。例えばもし政治でだよ、さあ、徴兵制だといった場合、君達は抵抗することができるかどうかだ。おそらくできないだろう。ということは、言い方を換えるならば、君達は政治の支配下にあると。そして、日本国憲法という法律に基づいて保護は一応されている。しかし、その憲法も政治の力によって変えることはできる。あるいは、憲法の解釈によって、ね、それは何とでもなると。
 例えばその例が自衛隊であると。わかるかな、言ってることは。私は軍備をすることに、ね、賛成とか反対とかいう意見は今は持っていない、まだ。なぜ、軍備をすることに賛成とか反対ということを持ってないかというと、例えば、もし軍備をするんだったならば、本当に戦って勝てるような軍隊を日本に作るべきであると考えている。もしそうでなくて、一週間とか十日とか抗戦して、ね、役に立たないような軍隊だったら、初めから持つべきではないと考えている。そして国民もそれを認識するべきであると、ね。
 例えばもしだよ、軍隊を持たないと仮定してそのお金が福祉に還元されたならば、ね、例えば老人福祉、それから障害者の福祉、その他大変な発展をするだろう。しかし、無智な人達は、ね、それをそう考えてないわけだね。福祉は苦しい、ね、福祉は遅れていると。ねえ、例えば消費税はどうしろと。しかし、その消費税をOKしたのは自分達じゃないかと、ね、そこは忘れてしまうと。
 じゃあ、これをね、純粋に宗教的な面だけで、ね、解決できるのかと。当然できないよね、今言ったとおり。わかるよね、言ってることは。

時間がなさすぎると。例えば二〇〇三年に原爆が爆発するとして十四年しかないと。その間に総選挙は何回繰り返されるだろうかと。そんな多くの回数ではなかろうと、ね。そして今の状態を分析するならば、第二次世界大戦の始まる前とすごく似てるんだね。政治が不安定になり、それから財界が自民党を見放すと。ということは、逆行した世の中になるわけだ。そして当然、戦時中というものは宗教は弾圧される。そしてオウムのシッシャは若いから、すべては徴兵制に持っていかれ、そして軍人だ。君達がこれを良しと考えるならば政治に参加するのはやめようと。しかし、あしと考えるならば、そして真理の法を広め、ね、そして、二十一世紀の超人類の未来、透明なね、飛躍に富んだ未来を、もし君達が考えるとするならば、ここで私達は、宗教という観念から離れなければならない。大切なことは実践であると、ね。

 まるで、聖人君主なみの意見である。とてもサリンで人を殺させた奴が言ったとは思えない・・・。
 “徴兵制”ってのは今はないけど、自衛隊のことを考えてみると麻原の言うように憲法も変えられるし憲法の解釈により何とでもなる。実際、自衛隊派遣問題でも実際に憲法が変えられて中東に派遣されている点(自衛隊法改正)からみても、麻原の見識は正しいし、“軍備を持つこと”に関しても納得いく意見だし、軍備を持たずそのお金を別のところに回せばたいへん有益になるってことも正しい。そして今現在(2004年3月29日 (月) 午後 11時21分)の政治状況をみても、北朝鮮に対抗する為に法律を作ったり(有事法2003年6月6日成立)、軍備に力をそそいだり、自民党もいろいろ分かれたり、昔は麻原の言うように野党連立政権ってのがあって本当に国民が自民党を見放した時期(1993年村山内閣)ってのがあったんですよ。現在も世界的な目で見ると決して安定した時代ではないし、外からの脅威に「軍備だ」「軍隊派遣だ」と言っている状況はまさに麻原の言うとおり第2次世界大戦の始まる前のようにも見えなくもない。また、現実に2003年に核戦争は起こっていないけれどもアメリカによるイラク侵攻(2003/3/20〜5/02)っていう世界戦争みたいなものがその年に起こってたわけで。

 麻原って見識というか、完璧に俗世の状況ってのを把握してるんですよ。先見の明ってのが麻原にはあった。それか本当に予言者だったか・・・。だからあれほどの大成功をおさめられたんだと思うよ。

 ついでに、麻原はこんなことを言っている。
シッシャ新聞89.8号より

例えば、一方ではオウムが真理の法を説いたとしても、信徒さんは大変な苦しみを味わっていると。なぜかというと、町を歩けば食欲の誘惑、性欲の誘惑と、ね、テレビを見れば綺語の連発、悪口の連発、暴力の連発と。これをね、やはり浄化しない限り、オウムでいってる、例えば十戒守りなさいよといっても、オウムのいってることは理想としてはわかるんだけどできない、という見解になるんじゃなかろうか。


私の身に対する、例えば命に対する君達の懸念だけども、これについては、菩薩というものは、ここに菩薩というものが存在しているということは、その生命そのものは、すべては、ね、救済のためにあると。だから、例えば殺されようとも、ね、暗殺されようとも、ね、捕まえられようとも、ね、そういうことは大した問題ではない、ね。

私の予言は的中してないわけだけども、まず富士山の噴火、その前哨戦として一発ね、爆発が起きるだろうと。そして案の定、伊豆の、ね、海底火山が爆発したと。そして、次に保革伯仲の時代が来るであろうと。

最後にもう一度言うよ。例えば殺生、偸盗、邪淫、妄語、綺語、悪口、両舌、ね、そして心に貪り、嫌悪、執着、無智といったような、こういうものを持たせているのは私達の環境であると、ね。その環境から離れることによって、私達はそれを得ることを一つできると。もう一つは、環境というものの中にいて、それを感じないようにして越えることができると。もう一つは、環境を越えることによって、環境を変えることによって、それを、ね、私達は得ることができると。


 殺されようとも、捕まえられようとも大したことないですって。だから、裁判所であんな態度がとれるんだろうなあ。でも忘れちゃならないのは確かに麻原は素晴らしいことを言っている。しかし、麻原は人にやらせて自分はやらない奴なんです。例えば、弟子に肉断ちさせて自分はビフテキ食ってるっていうあれね。それって“両舌”だよね。“殺生”もさせてるし、“邪淫”なんて凄かったらしいやないけ。それに、オウムの教団ビデオでこのような会話があるんだけど、


真理子−−イメージによっても、殺生のデータを入れられてるじゃない。だいたいアクションものの映画、ホラー映画なんかは、自分を害する悪い者はすべて殺してしまってもいいんだというストーリー展開になっているわ。


真理子−−こうやって見てみると、殺生、性欲、食欲。
     ムーラダーラ・チァクラ、スヴァデイスターナ・チァクラ、マニプーラ・
     チァクラ。下から3つまでのチァクラしか使わせないように、データが巧
     妙に選定されて流されていることが、よ一くわかるわ。

公平−−−そうなんだ。ムーラダーラ・チァクラは地獄界、スヴァデイスターナ・チァ
     クラは動物界、マニプーラ・チァクラは低級霊域に通じているよね。
     つまりボクたちは、三悪趣に転生するように、コントロールされているだ
     けなんだよ。

真理子−−それがヤツラの狙いなのね。

公平−−−そう。この愛欲の世界を維持していくための悪魔の法則なんだ。

(オウム教団ビデオより)



 “自分を害する悪い者はすべて殺してしまってもいいんだ”、“殺生、性欲、食欲”の下から3つまでのチャクラ、来世、三悪趣に転生するのは、“それがヤツラの狙い”のヤツラって、 その悪魔の法則を実行しているのは、・・・ってすべてお前だろう! 麻原!

 という、自分でも阿修羅界に行くって言ってたけど、やっぱり、「オウム(自分)が真理の法を説いたとしても、オウム(自分)のいってることは理想としてはわかるんだけどできない」。オウムを自分に変えれば麻原のやってることが納得いくわけで・・・。っていうんだったら、ビフテキのことも説明を付けることも可能なわけで・・・。


 
 
10.オウムの信者たち


 でも、オウム真理教って、ヒエラルキーのトップは言うことは素晴らしく、神人のようなんだけど、実際は世俗的で金儲け主義でただのせこいオヤジなんだけど(もっとも予言能力とかテレパシーはあったかもしれないが)、オウムの信者はけっこうというかまったくなんですよ。
 テレビとか本とか読んでみると、オウムの信者って「みんないい人」と言われてるのが多い。それはどういうことか?
 それは信者たちがあまりにも素直だったからではないかと思う。入信する信者が本当に「一人でも多くの衆生を救済したい」と思っていることは間違いないと思うし、オウム信者って他の宗教と同様、悩みなどを親身になって考えてくれるし、相談にものってくれるらしい。
 オウムの信者たちは、60%ぐらいが女性なのだそうだ。でもオウムにいると女にもてないのだという。それは男女間が平等であるということと、出家信者にはあまり結婚を勧めないという仏教の教えからそうなってくると思うのだけど、男女間であまり会話はしないのだという。っていうか人との会話ってこと自体がほとんどされない、というかさせないんじゃないかと思う。見てる人はそれをみて「ロボットのようだ」と言った人もいるぐらいなんかサバサバとして話しかけても無視されたり相手にされないらしい。
 それはなぜか分かる。それは修行してるとグルとかに“パワー”(頭の上からザッと降ってくるような感じの力)をもらった時に、人と話すとそのパワーが逃げちゃうらしく、なるべくそのパワーを自分の中に置いておきたいのだからではないかと思う。僕もそういう体験がある。
 それで、もちろんオウムの信者は特に下のステージの人は麻原の言ってる“十戒”を守っているので(オウムの十戒ってわかんないですけど)、人は殺さないだろうし、セックスはしないだろうし、物は盗まないでしょう。だから危険じゃないんですよ。

 ではテレビとかのマスコミがなぜ「あのような危険な団体はなくした方がいい」などというのだろうか?

 それはタントラ・ヴァジラヤーナの教義があった為だからだと思う。

タントラ・ヴァジラヤーナとは?

タントラ・ヴァジラヤーナとは、グルに絶対的に帰依し、グルの命令であれば、殺人をも辞さないという教義である。


さあ、タントラ・ヴァジラヤーナに帰依するぞ
タントラ・ヴァジラヤーナに帰依するぞ タントラ・ヴァジラヤーナに帰依するぞ


タントラ・ヴァジラヤーナの帰依が必要である
タントラ・ヴァジラヤーナの帰依、
それは、グル、シヴァ大神、そしてすべての真理勝者方に帰依すること
そして、真理に帰依すること
そして、自分よりも少しでも霊性の高い者に帰依すること
そして、タントラ・ヴァジラヤーナの戒律に帰依すること
これを徹底的に実践するぞ これを徹底的に実践するぞ これを徹底的に実践するぞ


一つの法則とは何か
それは、仏陀を思念することである
そしてタントラ・ヴァジラヤーナにおいて、仏陀とグルは同等である
グルと仏陀は同等である
さあ、グルに帰依するぞ
グルに帰依するぞ グルに帰依するぞ グルに帰依するぞ グルに帰依するぞ
では、いったいグルとは何か
グルとは、すべての魂をポワするために生まれてきた生命体である
グルとは、すべての魂をポワするために生まれてきた生命体である

ポワとは何か
ポワとはすべての魂を高い世界へ移し変えることのできる儀式、
あるいは教え、あるいは実践を指す
したがって、
ポワの実践を行なうぞ
ポワの実践を行なうぞ
ポワの実践を行なうぞ
ポワの実践を行なうぞ


すべては結果である すべては結果である
強い、最高の心を持って、
そして救済を成し遂げるぞ 救済を成し遂げるぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ


タントラ・ヴァジラヤーナ、それは偉大なるシヴァ大神に帰依すること
つまり、シヴァ大神の教えを実技すること、
そして、仏陀に帰依すること、
つまり、覚醒へ至るための道筋をお説きになる仏陀に完全に帰依するぞ
そして、グルに帰依すること
それらを完全に説き明かすグルにすべての功徳を差し出し、そして帰依すること真理に帰依すること
グルがお説きになる、すべての絶対の真理に対して帰依すること
そして、タントラ・ヴァジラヤーナの秘密の戒律をしっかり守るぞ
秘密の戒律をしっかり守るぞ 秘密の戒律をしっかり守るぞ
これこそが、最も早く最高の境地へ到達する道である
これこそが、最も早く最高の境地へ到達する道である


さあ、わたしは完全なるヴァジラヤーナの実践を行なうぞ
完全なるヴァジラヤーナの実践を行なうぞ
完全なるヴァジラヤーナの実践を行なうぞ
そして、たとえ命を捨てたとしても、ヴァジラヤーナの実践をやめないぞ
たとえ命を捨てたとしても、ヴァジラヤーナの実践をやめないぞ


さあ、いよいよ聖書に説かれているハルマゲドンは近い
さあ、シャンバラの教えで予言されているような、聖と、そして邪の戦いは近い
さあ、アフラ・マズダー、グリフォンが登場する、
最終戦争はいよいよ目の前に迫っている
さあ、この最終戦争において必ず聖なる軍隊に属し、そして悪趣をポワするぞ
悪趣を一人で二人でもポワするぞ 悪趣を一人でも二人でもポワするぞ
ポワすることこそが救済である ポワすることこそが最高の功徳である
そして、ポワすることこそが自分自身を最も高い世界へ至らせる道である


さあ、わたしのこの実践がすべての魂を幻影から救い、
そして、すべての魂が救済されますように
偉大なる完全なる絶対なるグルに帰依し奉ります
最高の叡智であられる偉大なるシヴァ大神に帰依し奉ります
最高の覚醒を達成なされたすべての覚者方・真理勝者方に帰依し奉ります
完全なる絶対なる真理に帰依し奉ります
すべてのタントラヤーナ、ヴァジラヤーナの規律に帰依し奉ります
わたしの功徳によって、すべての魂がポワされますように
 
「ヴァジラヤーナの決意」 94年6月10日 より


 ポワって“殺す”のことだから、これを麻原は素直な信者に読ませて殺らせたと。
 その上、教団ビデオでも、

真理子−−ハルマゲドンまであとわずか。本当に急がないと、自分自身を救済するこ
     とすらおぼつかないわ。
公平−−−今から準備して、正しい高い転生をするためには、すぐに結果が出る、ヴァ
     ジラヤーナの実践しかないんだ。
     ヒナヤーナやマハーヤーナじゃ、救済のスピードが遅すぎるんだ。
真理子−−ヴァジラヤーナの激しい実践をするしか、残された道はないのね。
公平−−−しかもヴァジラヤーナこそが、解脱・悟りに至るための最も早い、最高の
     道なんだ。
真理子−−そうよね。尊師がわたしたちに最高の道を示してくださったんだわ。

 っと信じさせて、「ヴァジラヤーナこそ、グル、守護神、そしてダキニ(インドの密教で説く鬼神の一種。通力自在で人の死を六か月以前に知り、その心臓を取って食うといわれる)の守護のもと完全解脱を目指す最短の道である。」と説く。

 それはやくざ幹部への最短の道である。

 この教義が惨事の根本的原因であり、これさえなければゆっくりと小乗、大乗の教えだけであったとしても魂の救済はできたと思うし、オウムは危険な団体ではなかったはずだ。っというか人々から尊敬されるべき人たちだったはずである。しかし、有言実行の麻原のハルマゲドン(世界最終戦争)への“切迫観念”がヴァジラヤーナを急がせた。とみるべきか・・・。
 または、強制捜査へのかく乱のの為に衝動的にヴァジラヤーナを理由にやっただけなのか・・・。まあ、何にせよ、オウムにそのような教義がなければ麻原も合法的(己の宗教の中での)に“ポワ”を出来なかったのではないかと思う。


 話が横にそれていったように思うが、僕が思うに、麻原よりも「信者がすごかったのでは?」と思う。確かに、テレビや雑誌で“超能力”を取り上げれば、「自分もそのような力がある」と言ってくる人も多いという。でも、ほとんどがエスパー・伊藤のような人ばかりで、中には異常者もいるわけだけど、実際に本当にそのような能力を持っている人もいるわけで、そういう人たちが多くオウム真理教にも入っていったと思われる。
 実際に信者の話では、修行マシーンと呼ばれる井上嘉浩容疑者が自分の目の前で1メートル以上空中浮揚し、すっと着地するのを見てから熱心に修行するようになったっていう人もいる。テレビとかでも信者が座禅を組んでしばらくするとピョンピョンとそのまま浮いて前進しているビデオを見たこともある。水中クンバカ実験もそうだ。信者は15分ぐらい水中いることが出来たのに麻原はトータル15秒ぐらい。
 だから、麻原の“テレパス”“予知能力”っていうのは、信者にやらして尊師名義でやったんじゃないかとも思える。つまり、ゴーストライターのようなものの超能力版、ゴーストエスパーのような者を使っていたかもしれない。
 それほど優秀な超能力者が集まってただろうし、有名大学卒の医者とか、その他、優秀な人材が揃っていたということは事実であり、たとえ教祖が“ダメな奴”だと悟ったとしても、彼らの理想、そう麻原がタテマエとして掲げた理想、教義を信者たちは真面目に受け取り、実践しその夢の実現に向かって生きていたんだということだろうね。

 ある信者は言う。
 「オウム真理教という教団だっていつかはなくなります。器にすぎないんですから、必ず形を失う。でも教団が失われても、私たちの内側の信仰を壊すことはできません。」

 テレビはよく俗世間のことを“こちら側”、そしてオウム信者たちを“向こう側”とは“あちら側”とかで呼んでるが、オウムの信者たちは、世俗が嫌で出家したんだから、「帰っておいで」とか言っても彼らにとっては“そこ”が世俗より居心地がいいので居るわけなので、「帰って来い」っていうのはちょっと残酷なのかもしれない。

 麻原は裁判の時に、最初は「私は麻原彰晃です。松本智津夫は死にました」とか言って、自らの宗教論を展開し雄弁を振るっていたんだけど、形勢が不利になると今度は「麻原彰晃は死にました。」って言って松本智津夫となり口をつぐんでいるというような、それって、まるでプロレスの武藤敬司が残虐非道のグレート・ムタとなり、またミスター・ポーゴが「ポーゴ大王さまああー」とか言って、ペインティングをし直して「オレ様はポーゴ大王だアあ」とか言って善者と悪者を使い分けているように、“犯罪者の麻原は死んだ。だから今は罪を犯してない松本智津夫だ”という自らの宗教の信念をかなぐり捨てたような感じにも見えるが(どうせ、もし自由の身になったら“麻原彰晃”が復活するんだろうな)。

 でも、そんな自分の宗教をまったく信じてない教祖とは違って、信者はそれを信じてるわけで、今はもうタントラ・ヴァジラヤーナの教義は放棄してるので、暴君がまたでない限り安全な団体なのではないかと思うんだけど。




オウム真理教の教義は、小乗仏教(ヒナヤーナ)、大乗仏教(マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗仏教(タントラ・ヴァジラヤーナ)、上座部仏教(テーラヴァーダ)、古代ヨーガによって構成されています。

(2000年2月4日施行)において、宗教団体・アレフの教義は、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教に限定することを明示しました。そして、一連の事件に関係したと言われ危険とされる教義につきましては、当教団の教義として一切認めず、これを破棄すること、その実践を禁止することを明文化しました。

宗教団体アーレフHPより




 それと、テレビなどは「教団を解体すべきだ」とか、「そんな教団はなくするべきだ」と言っているが、解体したら約23億という賠償金は誰が払うのか? っということになるので必ずしも解体すればいいということだけでは済まされないと思う。
 

 

11.国松長官狙撃事件などの罪がないのは?


松本智津夫こと麻原彰晃の2004年2月27日に行われた一審判決では13の事件で死刑判決になったんだけど、


田口さん殺害事件

坂本弁護士事件

サリン量産プラント事件

滝本弁護士サリン事件

松本サリン事件

自動小銃密造事件

落田さん殺害事件

冨田さん殺害事件

水野さんVX事件

浜口さんVX事件

永岡さんVX事件

仮谷さん事件

地下鉄サリン事件




この中に“国松孝次警察庁長官狙撃事件”(1995/03/30)とか、“横浜駅異臭事件”(1995/04/19)、“新横浜駅異臭事件”(1995/05/15)、新宿駅トイレ青酸ガス事件(1995/05/05、07/04)など「オウムと関連してる」と当時報道された有名な事件がその中に入っていないというのはおかしいと思いませんか?

“国松庁長官狙撃事件”は、東京都荒川区南千住隅田川沿いのアクロシティーで38口径コルト・リボルダー「バイソン」、ホロー・ポイント弾「357マグナム弾」を使い何者かが発砲。4発中3発命させた事件で、テレビによると以前から見知らぬカップルが周りをうろついていたとか言われてたし、“新宿駅トイレ青酸ガス事件”ここのページに書かれているようにフジテレビが特番で詳しくやっており、その中でも、


「犯人に結びつく不信人物についての目撃証言を入手」

「(オウム)逃走幹部の手配写真に酷似していた」

「7年前の“昭和63年4月13日の新聞の切り抜き”(三和銀行へ34人致死の毒物、爆薬同封)がオウム道場から押収されたので・・・」

「新聞の“地下鉄で青酸カリに酸を接触させ猛毒のガスを発生させます。”という7年前の三和銀行を毒ガスで恐喝するという事件とまったく同じ手口」


などと紹介しており、似顔絵とかも書いてたわけなんだけど、ぜんぜんそれ以降はそれらの事件は脚光を浴びてないし、「どうなったのかな?」と思うぐらいまだ未解決だと思うが、それらも裁判所や警察は追及しなかったのかというのも疑問である。

“国松庁長官狙撃事件”と言えば、日本テレビ系『FBI超能力捜査官』っていうので、霊能者を使って捜査してたんだけど彼女等の言うには、「オウムとは関係無い」とは言っていましたが、それは警察や裁判所で取り上げられなかったり、そういう情報があったからそういうふうにしたんだろうけど、本当にオウムは関係無いのかなあ?

その“国松庁長官狙撃事件”が起こった当日に、

「オウム捜査をやめろ 次は井上、大森怪我をする」(1995/03/30)

と日テレに脅迫の電話があったと言われている。その“井上”、“大森”っていうのは分からないが、それが警察に関係のあることならオウムが絡んでるかもしれないし、「本当に関係無いのか?」っていうのを追及して欲しいと思う。ぼくは関連があると思う。警察ももしかしたら何か重要なことをつかんでるかもしれない。しかし、それは公表できるものではないのかもしれない。だから無視されているのだと思う。

警察は自分たちのトップが射殺されかけたのにそれをまだ解決できないと言うのも、なんか情けなく、「偉けりゃ、解決してみろ!」っていうのもあるし、「未解決で終わらせてもいいの?」っていうのもある。

警察といえば、オウム捜査の時、違法捜査が目立ったよね。確かに当時(1995)、「オウムはあやしい」とは言われていたんだけど、でも当時から「何のために?」とかいう動機が分からなかったんです。今は「オウムへの強制捜査を他にそらす為」とか言われてるんですけど、当時は警察は「何のために」捜査をしてるのか何も言ってなかったらしい。まあ、最近(2004年4月7日水曜日 午後 11時00分)のテレビなどでは警察を美化しているようなオウム捜査ドラマとかあったが、強制捜査して何か出ればそれでOKだけど、何も出なかった場合、ただ国家レベルで“宗教弾圧”をしたといわれてもしょうがないほどの違法捜査だったと思う。


〜警察の異常逮捕〜

公務執行妨害

名誉毀損

住居侵入

道交法違反



などの罪で、二百人近い人を逮捕したのである。そして、オウム信者の子供等を強制的に連れ去った事(拉致)。テレビのオウム捜査ドラマなどでも、「何でもいい、立ちションでもかまわない」というセリフまであるぐらい過剰な捜査をしていた。それをマスコミは、

「捜査は違法だけども今回に限りやむを得ない」

と言っていたらしい。っと言うのも、それをやらせたのはそのマスコミらしいんです。マスコミの反オウム・ヒステリーがそうさせたらしい。だから、「何のため」に逮捕するのかも分からず、動機もはっきりしないまま予防拘禁したのである。本当にオウムがやっててよかったんだけど、そうじゃなかったら・・・と思うね。

そんなんだったら、警察も僕の住んでるところなど、暴走車暴走バイク違法、改造車、マナー(空ぶかしとか急発進とか急加速など)の悪い車など、僕の“反違法車・ヒステリー”を聞いて、そういう車やバイクがくれば、警察の方々にその前ですっころんでもらって、公務執行妨害か何かでマナーの悪い車を捕らえてよ。

 


12.テレビが超能力に関して報道しない理由


テレビは、特に報道関係では超能力という言葉はあまり使用されない。その代わりに使用される言葉がオカルトである。

では、テレビはなぜ“超能力”とはいいたがらないのか?

それについてはまずこの話からしよう。

このページをごらん下さい。あきらかに超能力と思われる描写をフジテレビは1995年5月10日当初にはしているわけで、分かっている人なら、「非常にリアルだなあ」と思えるほどリアルなんですよ。「それが超能力だ!」っていうほど。

当時はそういうテレビでいうオカルトとオウムの関係など非常にとりだたされてたと思うんですが、今(2004/04/08 22:59:29)はあんまり言われない。言うとすれば、「オウムは国家転覆を図ろうとした悪い集団」ぐらいだろう。

テレビとかで言われる、もしくは番組とされている超能力は、ほとんどがインチキである。ではなぜあんなばればれのインチキ超能力者をゴールデンタイムでやるのだろう?

考えられるとするなら、かつて人々がオウムにそれでひかれていったように、科学では解明できないような現象っていうものに視聴者が興味を持っているので視聴率を稼ぐために見せている。っということ。

もう一つは、テレビはやたら超能力を否定したがってるっていうこと。別の言い方をすればその存在を隠したがってるっていうことである。あきらかにインチキと思える霊能者らを番組で紹介することにより民衆に「そんなのインチキだ!」と思わしたい。つまり情報操作、または情報統制である。

では、なぜ超能力の存在を隠したがっているのか?
 

 

13.第2、第3のオウムに成り得るものとは?


では、なぜテレビは超能力の存在を隠したがっているのかという問題の前に、テレビが第2、第3の「オウムの目」っていうのに強い警戒心を抱くと共にそういうような事が起きないようにとテレビを通して言われているのだが、第2、第3の「オウム」に成り得る可能性のあるものとは誰なんだろう?

政治家(総理大臣など)って国家レベルで、もろ、そういうことが出来るので、その人たちを外して一般レベルで考えてみると僕は今の段階ではっきり言えるのは2人いると思う。

一人目は、それは

僕はサリンとか撒きたいとは思わないけど、麻原と同じように“崩壊願望”ってのがあるんですよ。僕の場合、麻原と同じように自分は手を下さず、天変地異か何かで神によって罰せられ、旧約聖書のノアの時代のように「正しい者だけが生き残ればいいなあ」と思っているから。でも僕は麻原のように陰気なことはしないと思いますよ。どちらかと言えば陽気なタイプですから。あと今のところ経済力とかないので組織など作れる状況ではないと。やっと生活してるようなものであるから組織による犯行ってのは現段階では不可能。この先もどうなるかわからない。

2人目は、第2、第3の「オウムの目」っていうのに強い警戒心を抱くと共にそういうような事が起きないように唱えているテレビそのもの。

ここでテレビってどんなものなのかを例の参考書・別冊宝島229『オウムという悪夢』から引用してみんなに知ってもらおうと思う。それら引用文はテレビなどのマスコミとかを知り尽くしている同じような業界からのコメントなので僕が自分でいうよりかなり説得力があると思いますよ。




〜テレビ・マスコミの真実〜


ワイドショーでは事件記者が、「ハルマゲ丼」「ポア酒」が新しくメニューに加えられたオウム経営の食堂に乗り込み、「常軌を逸した悪ノリだ」と糾弾しながら、わざわざそれを注文して食し、「味はまあまあです」などとレポートする(どっちが常軌を逸した悪ノリだ!?)。(P2)

マスコミの常套手段、“切り貼り”である。取材相手の言葉はおうおうにして製作者側の意思の鋳型(いがた)に容れられてしまいうまい具合にすり替えられる。ライターとしてこれを何より嫌う私は、生番組にしか出ないという上佑氏の気持ちがよくわかる。(P24)

そうした前歴を知るテレビ関係者からの「オウム特番」への出演依頼を、別のプロジェクトで忙しいという理由で断り続けた私は、自分が座るはずだった場所から語られるトンチキな発言を見るたびに、責任を感じざるを得なかった。(P105)

この国では、強制捜査から今日にいたるまで、オウムの信者に人権はなかった。いったいそんなことを誰が決めたのか。この国ではマスコミの意見は法より上位の審級であるらしい。恐ろしいことである。
・・・マスコミの反オウム・ヒステリーを法秩序より上位の審級と考えてしまっては、権力形態としては、オウム真理教と選ぶところがないではないか。(P154)

この事件は戦後の日本人の精神史にとってものすごく大きな問題を投げかけていくと思うんです。そのときマスメディアが作り上げてしまった、カルト教団のペテン教祖というイメージに徹してしまっては、日本人の精神史が抱えている問題なんて語れなくなってしまう。(P170)

反オウム・ヒステリーシンドロームと私が名づけるマスコミの流行病は、とりあえずは以上のようなところから始まったが、この病は流行しはじめるや否や、まったく異なる病気に変身した。実際にサリンの被害を被った方や、無実の罪で逮捕されたオウムの一般信者の方には、まことに気の毒なもの言いではあるが、この二ヶ月ぐらいの間、オウム真理教は、この国最大の娯楽であった。(P148)

僕がオウムの取材をしていると聞いたTBSの『ザ・フレッシュ!』がVTR取材でやって来て、オウムのアニメやマンガ戦略についてコメントを取りに来たのだが、そのなかで、質問者がしきりに、「アニメやマンガでは麻原や信者の顔が美化されて描かれている」とか「空中浮揚を絵で簡単に表現したこういうアニメを見て騙される人がいる」などということを僕の口から言わせようとするのである。(P186)

彼はなかなかの予言者であったのだろう。しかし、彼は富と力を得るにしたがって、急速にその予言の力を失っていった。真の予言者とは決して富と力を有してはならないのである。富と力は大きなノイズとなって予言者の勘を鈍らせるからである。この意味で、テレビに出る予言者はおそらく、誰であろうと予言の能力を失っているはずである。真の予言者というのはいつも無名である。(P222)





以上のようなものなんですが、テレビなどのマスコミの影響力ってものすごいもんがあるんです。その影響で警察が動いたり政治家が動いたりと。言いかえるなら、テレビは間接的に日本を支配していると言っても過言ではないと思う。

また、テレビは“反オウム・ヒステリー”とか“反オウム・ヒステリーシンドローム(症候群)”とか言われてるが、フジテレビも1995年5月10日放送の『FNN緊急報道スペシャル』でレポーターの浜田典子がおもしろいことを言っていた。

「灯りがついていなければ、この建物、ほんとに何をしているか判らないのですが・・・、もはや、いつ何が起こるか判らないと24時間体制で警備が続けられているこちら南青山東京総本部前です。」

それはもはやテレビであろう。テレビは何をやってるかわからない。テレビで述べられる“暴露”とか“真実”というものは上辺だけのものであろう。実際には『〜テレビ・マスコミの真実〜』として書かれているテレビ・マスコミっていうのが真実の顔なのではないか。

まだある(赤字は僕のコメント)。

〜わずかに明るみに出るテレビの素顔〜

1989年秋、TBS「3時にあいましょう」はオウム真理教・麻原彰晃の水中クンバカを取り上げ、オウム批判の急先鋒だった坂本弁護士にも取材。10月26日、オウム教団幹部がTBSを訪れて抗議。未放映のビデオを見せるように迫り、放映中止に。その後、幹部らは坂本弁護士と面会、11月4日に一家3名を殺害した。 以上の経緯は6年間表面化しなかったが、1995年10月、TBSが地検に坂本取材ビデオを提出し、19日に日本テレビが報道。TBSはこれを即日否定、96年3月11日発表の社内調査でも「ビデオを見せた事実はない」と否定。しかし、オウム幹部の供述が出たことから、3月25日に社長会見で認め、4月30日には「お詫び番組」「検証番組」を放映した。これが「報道のTBSは死んだ」といわれた、TBSビデオ事件(TBS坂本弁護士ビデオ事件)である。
HP『すべてを疑え!MANO'S SITE』 より


1989-12-24 日本テレビがアニメ『シティハンター』の中で麻原彰晃のサブリミナル放送

その他にもTBSもやってたとかやっていないとか聞いたことあるし、最近では『ピカチュウ』とかいうのでも話題になってたような気がする。サブリミナルとか使って視聴者に実験してたんじゃないか。つまり、我々は実験されていたということになる。

ドアホの日テレ、民主党から抗議される!(11/7)
 日本テレビのバラエティー番組「電波少年に毛が生えた」が3日、明治学院大学での鳩山由紀夫民主党代表の講演会の最中、出演者に鳩山代表を揶揄するような歌を歌わせ、居合わせた学生や大学側から抗議を受けていたことがわかった。民主党も5日、同局に抗議文を送った。その後、その場面は放送自粛することを表明したが、民主党への謝罪はまだ行っていない模様。番組スタッフには節度・常識という物がないのでしょうか?。入社試験のやり方を、もう少し考えたがいいでしょう。ふざけるにもほどがある、日テレ社長は民主党に土下座しろ!ところで、日テレ社内告発制度として発足した「ホイッスル制度」は」、今回機能したの?
 また、読売新聞はこの事件に関して、今日まで一切の報道も行っていない。これは、一種の報道管制であり、読売新聞の記事は信用できないことになる。
2002年 HP『怪奇現象の嘘』より


 自分たちの悪いことは徹底的に喋らない。バレたらようやく手を打つんだけど(辞職などして)、バレなきゃそのまんま。こんなのが日本と言うか世界を情報統制してるんだから終わりである。


テレ朝、やらせ発覚! あの企業体質なら納得です(7/16)   
 テレ朝が昨秋放送した京都府の暴走族を取材した番組で、「番組関係者から頼まれて走った」と暴走族が京都府警に供述した模様。警察は「やらせ」の疑いがあるとして、取材を担当したリポーターから道交法違反の疑いで事情聴取後、書類送検した。当然ながら、ご出演料として金品が渡されているでしょうから、これまた悪質!なお、テレ朝は今なお、事実を否定しています。警察・検察は嘘をついていると理解して良いのでしょうか?
2003年 HP『怪奇現象の嘘』より


テレビが「こんなことできる」っていうこと。だから、何度も言うけど、これらは氷山の一角で海面の下では「バレなきゃ・・・」って余罪はたくさんあるっていうか、それがほとんどなんじゃないかと。テレビは何か反論があるか?


“オカルト業界”は、派手なものはテレビと一般週刊誌が扱い、地味で地道なものはオカルト雑誌が拾い集めては広めるといった具合に成り立っていた。
雑誌『オウムという悪夢』(P24)より


要は、超能力者って、テレビが専売特許みたいなもんなんだ。そのような人たちが容易に多く集まりやすいのである。

それで、なぜテレビは超能力の存在を隠したがっているのかという問題。それはテレビは実際に超能力者を集めることも使用することも出来るので、それによって行われる戯れ(犯罪)がバレるのを阻止しているのではないか。テレビでは一般向けの超能力者、これらはいわゆる“インチキ”とか言われている、いや、言われてもいいような連中たちと、本当に能力を持ったトップ・シークレットの超能力者がいると思う。そやつらはトップ・シークレットなのでもちろんテレビには出ない。けれども実用されている連中たちだろう。僕はテレビによって行われているのではないかと思われる事件を知っている(その衝撃的な事件を知りたい方はメール下さい。教えます。)。もしそれを理解していただけるなら。第2、第3のオウムにテレビが成り得る、いやもはや成っているってことがわかっていただけるのではないか。

もう一度まとめよう。テレビとは、

現代における中心。それにより世の中が動いている。

すべてを娯楽(エンターテイメント)に替える。

ほとんどが虚構、欺瞞である。

製作者側の意思で鋳型(いがた)に容れられ、他人の口から言わせたり、やらせようとする。

その影響力は法より上位の審級である。

その権力で常軌を逸した悪ノリをする。しかも陰気に。

超能力者を手っ取り早く集めることが出来る。

それらの行為は戦後の日本人の精神史にとってものすごく大きな問題を投げかけていくことだろう。




14.まとめ


僕は“国松庁長官狙撃事件”をオウムと関係があるのではないかと言い、警察も何か重要なことをつかんでるかもしれないが、それは公表できるものではないのかもしれないと言った。

テレビなどのマスコミもこのオウム真理教が起した事件を“空前”と言った。それはどういうことか?

確かに、国家権力以外は使用不可能と思われていた武器をつかって無差別殺戮をしたこと。それに警察でも大規模な違法捜査を行ったこと。テレビなどのマスコミもヒステリーに陥ってしまったこと。
それらをすべて含めて“空前”というのかもしれない。

しかし、僕はそれらが空前と言われられているほかにまだ重要な空前があるのではないかと思う。これは僕の仮説だけど、この一連のオウム真理教事件は、

空前の超能力犯罪!

が行われたのではないか。しかも組織的に。

かつてオカルト雑誌『トワイライトゾーン』は様々なものを取り扱っていた。UFO、宇宙人、ピラミッド、古代遺跡、アトランティスやムー、ノストラダムスなどの予言、マインドコントロールやそれらの機器、永久機関、神秘思想、原始宗教、自然療法、風水、占い、そして超能力・・・

これらは何でもありという現代そのものであり、テレビもまた何でもありと言い、あらゆるものが情報として流されている。それを我々は吸収して生きているわけで、まさに現代はオカルト雑誌そのものの時代と言っていいのかもしれない。これを一言でいえば、バラエティ時代。もしくはテレビ権力時代。何があっても不思議ではない世の中なのです。


公平−−−真理を知らないっていうのは致命的なことなんだよ。
     性欲のデータもかなりヒドイだろ。
     どんな週刊誌もヘアヌード、ヘアヌードって。
     あんなもん、10年前だったら公然狭嚢物陳列罪で警察に捕まってるはず
     だよ。
真理子−−少女雑誌がヒドイの。ヴァージンは恥ずかしい。複数の男性と経験しなけ
     れば常識外れだみたいな書き方してる。それを真に受ける無智な子たちが
     たくさんいるから、性欲ばかりを追い求める狂人だらけの世の中になって
     るんだと思うわ。
公平−−−ドラマもひどいよね。トレンデイ・ドラマっていうのかな、恋愛至上主義
     みたいなの。あれに感化されて、恋愛に命を懸けるみたいな生き方が流行っ
     てるんじゃないかな。
真理子−−特に女性でそういう人って多いみたい。あと女性版の性欲コミックスが強
     烈なのよ。そのものズバリなの。


公平−−−そう。この愛欲の世界を維持していくための悪魔の法則なんだ。
真理子−−テレビのアニメやバラエティ番組なんかは、妄語・綺語・悪口・両舌の嵐
     だし、それを笑いのタネにすることによって、言葉のカルマを積むことに
     対しての抵抗感を感じなくさせていってるんじゃないかしら。
公平−−−そうだよね。テレビって悪い行ないを笑いで肯定するようなところがある
     から、ホントに怖いよ。
     面白ければいいじゃないかっていう感じて、意味もない言葉を発したり、
     人の欠点を面白おかしくあげつらったり、ヒドイもんだよ。
真理子−−仏典でも、インドの歌舞伎タレントは、喜楽、吉笑という地獄に落ちると
     説かれているわ。
     それは歌舞伎タレントが愛著・迷妄・邪悪心を演じることによって、凡夫
     たちにその発露のしかたを教え込んだかたちになった。
     そしてそのため、凡夫たちの愛著・迷妄・邪悪心のエネルギーをいっそう
     強めさせる結果になったからだっていうの。
公平−−−タレントの悪業って、思ったより重たいんだね。
真理子−−子供がテレビを見るようになって、粗暴になったとか、口が悪くなったっ
     ていう話はよく聞くわね。
公平−−−これはリバートとバロンが5歳から9歳の子供に対して行なった実験なん
     だけど、陸上競技のフィルムを見た子供よりも、銃撃シーンの多い『アン
     タッチャプル』を見た子供の方が、他人に苦痛を与えようとする傾向が強
     まったという。
     またナイフやピストルという攻撃性の玩具で遊ぶ傾向が高まったという。
     っまり、暴力のデータを取り入れることによって子供の攻撃性が高まるこ
     とが、実験によって明らかにされたんだ。
真理子−−テレビがまき散らすけがれたデータは、子供にも大きな影響を与えるのね。
     わたしたちも、マスコミに相当影響されて、ロのカルマって守りされてな
     いわね。特に女性同士の間なんて、いない人の悪口合戦みたいなところが
     あると自分でも思う。
公平−−−友達同士の会話だと、冗談の一つも言わなきゃ、話がはずまないって面も
     あるしね。
真理子−−やると言ってて、やらなかったりすることまで妄語に含めると、やっぱり
     相当なウソのカルマを積んでると思うわ。
公平−−−
オウム教団ビデオより


麻原彰晃もこう言っている。

そして教育問題。子供達は日々の生活の中でたくさんの正しくないデータ、例えばテレビによる暴力の場面だとか、あるいはセックスの場面だとか、あるいは麻薬などの薬物の場面だとかを見ながら、それを自己のデータとして子供達は取り込んでいっている。あるいは悪口、あるいは盗み、暴力といったたくさんの悪いデータを、自己の内側に取り込んでいっている。そして成長し、苦しむ。このままではいけない。

例えば、マスコミに対して、ね、こういうデータを出すならば、こういうふうな国ができ上がってしまうと、ね。マハー・ムドラーの修行、あるいはジュニアーナの修行に入ってる人はそれが理解できるはずだよね。だって例えば、日々だよ、綺語、悪口、両舌、ね、妄語の連発を、テレビやあるいはラジオ、雑誌で見たり聞いたりしたとしようじゃないか。どうだ、そのデータは私達の潜在意識に残るか残らないか。一方でオウムの十戒を説いたとして、ね、これと相反するもんだよね。どうだ。それは何とか止めるしかないじゃないか。

オウム真理教、政界へ進出することへの採決時のコメント


僕もそう思いますよ。皆さんにはわるいけど。テレビってのは、テレビ業界ってのは“テレビの常識は世間での非常識、世間での常識はテレビでの非常識”って言われているほどの違う世界なんです。そういう意味で言うなら、テレビがオウムとの隔たりを“あちら側”とか“向こう側”とか言うけれど、それを一般社会とテレビと置きかえるなら、テレビがオウムになってしまうわけでオウムよりも不可思議な存在であるし、以前からおかしかったと思う。
しかし、10年前に比べると非常におかしくなってきているし、非常に悪くなっている。変わってきたのがはっきりと目で見てわかるのがやはり一九九五年からでしょう。その時、初頭に阪神で大地震が起きたことが何かが“緩やか”に変わっていくプロローグであったのかもしれない。

今後、我々が求めなければならないのは“雲のように捕らえどころのないテレビ”を何とか捕まえることが元凶をなくす事につながるのではないか。そうしないとこの世はますますおかしくなっていくでしょう。

それにしても、麻原という男はある意味では“すごい”、“おもしろい”奴だとおもう。なぜなら、強制捜査の時、換気の悪いところで何時間も息をひそめていられたのだから。 あれってまさしく“クンバカ・ショー”とかで、水中で何分いられるかとか、土の中に埋めて何日居れるかみたいなもので、信者よりもいい記録つくったんじゃないかなあ。まさしく“最終解脱者”! 見つかんなかったら何日いられただろう。

被害にあった人たちも戻ってくるものでもないものをいつまでもこだわるよりも、“禍福は糾(あざな)える縄の如し”とか“禍転じて福となす”じゃないけど、結果的にはいい方向に向かっていると考えて欲しい。例えば、被害に逢ったからテレビに出られて有名になったとか(これはまた禍かもしれんが)。前向きに。

そして、テレビがやるべきことは、超能力(の存在)を報道(ニュース)の上で認めること(バラエティ番組じゃダメ!)。
 

 
2004/04/19 23:08:56
 




 ノストラダムスの予言の正しい解釈


ノストラダムスの予言はいろいろな解釈がされているが、それらはただ一人を除いて解けはしない。その人物は息子セザールであり、彼以外は解けないようになっている。

でも、僕なら解くことが出来ると思う。僕には直感的にわかるんだ。それがどんなことを書かれているかっていうことが。だいたいだけど。1999年のあの詩も。

「1999年に恐怖の大王が空から降りてくる」(たぶん)っていう詩。あれって、「それは非常に高い空の上におり・・・、目にもとまらぬ早さで降ってくるのでしょう」「なんでもないもの」「それが恐怖の大王」って言ってたよね。ってことは五島勉氏の著書に書かれてあること(詳しくは知らないけど)が確かなものならばその正体は現代に考えれば「あれ」しかないでしょう。

あと、「1999年・・・」の詩は世界破滅の詩ではない(すくなくともその時点では)。あれは“あること”を隠す為の詩だと思う。要は、そこに大衆の目が集中することによって“あること”へに目が向けられるのをそらした。そんなところです。

しかし、序文にかかれていることや、6巻の100番目の詩に書かれてあるような情況じゃなきゃちゃんと僕は解けないだろう。そういう状況になればきっと解けると思う。僕は序文に書かれてある条件に適合している。

ということで、すべては僕に聞きに来ることからはじまる。つまり問いただすことです。

メールお待ちしてます。
 

 


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1.テレビの白々しい「謎かけ」的報道

2.なぜオウムに魅力があるのか?

3.解答の前に

4.麻原彰晃という男

5.オウム真理教とは?

6.オウムは本当に仏教の一派か?

7.カルマの法則で現在(いま)に至る麻原

8.麻原に説法してやる

9.なぜそのような惨事になってしまったのか?

10.オウムの信者たち

11.国松長官狙撃事件の罪がないのは?

12.テレビが超能力に関して報道しない理由

13.第2、第3のオウムに成り得るものとは?

14.まとめ

?.ノストラダムスの予言の正しい解釈

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