僕は“国松庁長官狙撃事件”をオウムと関係があるのではないかと言い、警察も何か重要なことをつかんでるかもしれないが、それは公表できるものではないのかもしれないと言った。
テレビなどのマスコミもこのオウム真理教が起した事件を“空前”と言った。それはどういうことか?
確かに、国家権力以外は使用不可能と思われていた武器をつかって無差別殺戮をしたこと。それに警察でも大規模な違法捜査を行ったこと。テレビなどのマスコミもヒステリーに陥ってしまったこと。
それらをすべて含めて“空前”というのかもしれない。
しかし、僕はそれらが空前と言われられているほかにまだ重要な空前があるのではないかと思う。これは僕の仮説だけど、この一連のオウム真理教事件は、
空前の超能力犯罪!
が行われたのではないか。しかも組織的に。
かつてオカルト雑誌『トワイライトゾーン』は様々なものを取り扱っていた。UFO、宇宙人、ピラミッド、古代遺跡、アトランティスやムー、ノストラダムスなどの予言、マインドコントロールやそれらの機器、永久機関、神秘思想、原始宗教、自然療法、風水、占い、そして超能力・・・。
これらは何でもありという現代そのものであり、テレビもまた何でもありと言い、あらゆるものが情報として流されている。それを我々は吸収して生きているわけで、まさに現代はオカルト雑誌そのものの時代と言っていいのかもしれない。これを一言でいえば、バラエティ時代。もしくはテレビ権力時代。何があっても不思議ではない世の中なのです。
公平−−−真理を知らないっていうのは致命的なことなんだよ。
性欲のデータもかなりヒドイだろ。
どんな週刊誌もヘアヌード、ヘアヌードって。
あんなもん、10年前だったら公然狭嚢物陳列罪で警察に捕まってるはず
だよ。
真理子−−少女雑誌がヒドイの。ヴァージンは恥ずかしい。複数の男性と経験しなけ
れば常識外れだみたいな書き方してる。それを真に受ける無智な子たちが
たくさんいるから、性欲ばかりを追い求める狂人だらけの世の中になって
るんだと思うわ。
公平−−−ドラマもひどいよね。トレンデイ・ドラマっていうのかな、恋愛至上主義
みたいなの。あれに感化されて、恋愛に命を懸けるみたいな生き方が流行っ
てるんじゃないかな。
真理子−−特に女性でそういう人って多いみたい。あと女性版の性欲コミックスが強
烈なのよ。そのものズバリなの。
公平−−−そう。この愛欲の世界を維持していくための悪魔の法則なんだ。
真理子−−テレビのアニメやバラエティ番組なんかは、妄語・綺語・悪口・両舌の嵐
だし、それを笑いのタネにすることによって、言葉のカルマを積むことに
対しての抵抗感を感じなくさせていってるんじゃないかしら。
公平−−−そうだよね。テレビって悪い行ないを笑いで肯定するようなところがある
から、ホントに怖いよ。
面白ければいいじゃないかっていう感じて、意味もない言葉を発したり、
人の欠点を面白おかしくあげつらったり、ヒドイもんだよ。
真理子−−仏典でも、インドの歌舞伎タレントは、喜楽、吉笑という地獄に落ちると
説かれているわ。
それは歌舞伎タレントが愛著・迷妄・邪悪心を演じることによって、凡夫
たちにその発露のしかたを教え込んだかたちになった。
そしてそのため、凡夫たちの愛著・迷妄・邪悪心のエネルギーをいっそう
強めさせる結果になったからだっていうの。
公平−−−タレントの悪業って、思ったより重たいんだね。
真理子−−子供がテレビを見るようになって、粗暴になったとか、口が悪くなったっ
ていう話はよく聞くわね。
公平−−−これはリバートとバロンが5歳から9歳の子供に対して行なった実験なん
だけど、陸上競技のフィルムを見た子供よりも、銃撃シーンの多い『アン
タッチャプル』を見た子供の方が、他人に苦痛を与えようとする傾向が強
まったという。
またナイフやピストルという攻撃性の玩具で遊ぶ傾向が高まったという。
っまり、暴力のデータを取り入れることによって子供の攻撃性が高まるこ
とが、実験によって明らかにされたんだ。
真理子−−テレビがまき散らすけがれたデータは、子供にも大きな影響を与えるのね。
わたしたちも、マスコミに相当影響されて、ロのカルマって守りされてな
いわね。特に女性同士の間なんて、いない人の悪口合戦みたいなところが
あると自分でも思う。
公平−−−友達同士の会話だと、冗談の一つも言わなきゃ、話がはずまないって面も
あるしね。
真理子−−やると言ってて、やらなかったりすることまで妄語に含めると、やっぱり
相当なウソのカルマを積んでると思うわ。
公平−−−オウム教団ビデオより
麻原彰晃もこう言っている。
そして教育問題。子供達は日々の生活の中でたくさんの正しくないデータ、例えばテレビによる暴力の場面だとか、あるいはセックスの場面だとか、あるいは麻薬などの薬物の場面だとかを見ながら、それを自己のデータとして子供達は取り込んでいっている。あるいは悪口、あるいは盗み、暴力といったたくさんの悪いデータを、自己の内側に取り込んでいっている。そして成長し、苦しむ。このままではいけない。
例えば、マスコミに対して、ね、こういうデータを出すならば、こういうふうな国ができ上がってしまうと、ね。マハー・ムドラーの修行、あるいはジュニアーナの修行に入ってる人はそれが理解できるはずだよね。だって例えば、日々だよ、綺語、悪口、両舌、ね、妄語の連発を、テレビやあるいはラジオ、雑誌で見たり聞いたりしたとしようじゃないか。どうだ、そのデータは私達の潜在意識に残るか残らないか。一方でオウムの十戒を説いたとして、ね、これと相反するもんだよね。どうだ。それは何とか止めるしかないじゃないか。オウム真理教、政界へ進出することへの採決時のコメント
僕もそう思いますよ。皆さんにはわるいけど。テレビってのは、テレビ業界ってのは“テレビの常識は世間での非常識、世間での常識はテレビでの非常識”って言われているほどの違う世界なんです。そういう意味で言うなら、テレビがオウムとの隔たりを“あちら側”とか“向こう側”とか言うけれど、それを一般社会とテレビと置きかえるなら、テレビがオウムになってしまうわけでオウムよりも不可思議な存在であるし、以前からおかしかったと思う。
しかし、10年前に比べると非常におかしくなってきているし、非常に悪くなっている。変わってきたのがはっきりと目で見てわかるのがやはり一九九五年からでしょう。その時、初頭に阪神で大地震が起きたことが何かが“緩やか”に変わっていくプロローグであったのかもしれない。
今後、我々が求めなければならないのは“雲のように捕らえどころのないテレビ”を何とか捕まえることが元凶をなくす事につながるのではないか。そうしないとこの世はますますおかしくなっていくでしょう。
それにしても、麻原という男はある意味では“すごい”、“おもしろい”奴だとおもう。なぜなら、強制捜査の時、換気の悪いところで何時間も息をひそめていられたのだから。 あれってまさしく“クンバカ・ショー”とかで、水中で何分いられるかとか、土の中に埋めて何日居れるかみたいなもので、信者よりもいい記録つくったんじゃないかなあ。まさしく“最終解脱者”! 見つかんなかったら何日いられただろう。
被害にあった人たちも戻ってくるものでもないものをいつまでもこだわるよりも、“禍福は糾(あざな)える縄の如し”とか“禍転じて福となす”じゃないけど、結果的にはいい方向に向かっていると考えて欲しい。例えば、被害に逢ったからテレビに出られて有名になったとか(これはまた禍かもしれんが)。前向きに。
そして、テレビがやるべきことは、超能力(の存在)を報道(ニュース)の上で認めること(バラエティ番組じゃダメ!)。
2004/04/19 23:08:56