13.第2、第3のオウムに成り得るものとは?



では、なぜテレビは超能力の存在を隠したがっているのかという問題の前に、テレビが第2、第3の「オウムの目」っていうのに強い警戒心を抱くと共にそういうような事が起きないようにとテレビを通して言われているのだが、第2、第3の「オウム」に成り得る可能性のあるものとは誰なんだろう?

政治家(総理大臣など)って国家レベルで、もろ、そういうことが出来るので、その人たちを外して一般レベルで考えてみると僕は今の段階ではっきり言えるのは2人いると思う。

一人目は、それは

僕はサリンとか撒きたいとは思わないけど、麻原と同じように“崩壊願望”ってのがあるんですよ。僕の場合、麻原と同じように自分は手を下さず、天変地異か何かで神によって罰せられ、旧約聖書のノアの時代のように「正しい者だけが生き残ればいいなあ」と思っているから。でも僕は麻原のように陰気なことはしないと思いますよ。どちらかと言えば陽気なタイプですから。あと今のところ経済力とかないので組織など作れる状況ではないと。やっと生活してるようなものであるから組織による犯行ってのは現段階では不可能。この先もどうなるかわからない。

2人目は、第2、第3の「オウムの目」っていうのに強い警戒心を抱くと共にそういうような事が起きないように唱えているテレビそのもの。

ここでテレビってどんなものなのかを例の参考書・別冊宝島229『オウムという悪夢』から引用してみんなに知ってもらおうと思う。それら引用文はテレビなどのマスコミとかを知り尽くしている同じような業界からのコメントなので僕が自分でいうよりかなり説得力があると思いますよ。




〜テレビ・マスコミの真実〜


ワイドショーでは事件記者が、「ハルマゲ丼」「ポア酒」が新しくメニューに加えられたオウム経営の食堂に乗り込み、「常軌を逸した悪ノリだ」と糾弾しながら、わざわざそれを注文して食し、「味はまあまあです」などとレポートする(どっちが常軌を逸した悪ノリだ!?)。(P2)

マスコミの常套手段、“切り貼り”である。取材相手の言葉はおうおうにして製作者側の意思の鋳型(いがた)に容れられてしまいうまい具合にすり替えられる。ライターとしてこれを何より嫌う私は、生番組にしか出ないという上佑氏の気持ちがよくわかる。(P24)

そうした前歴を知るテレビ関係者からの「オウム特番」への出演依頼を、別のプロジェクトで忙しいという理由で断り続けた私は、自分が座るはずだった場所から語られるトンチキな発言を見るたびに、責任を感じざるを得なかった。(P105)

この国では、強制捜査から今日にいたるまで、オウムの信者に人権はなかった。いったいそんなことを誰が決めたのか。この国ではマスコミの意見は法より上位の審級であるらしい。恐ろしいことである。
・・・マスコミの反オウム・ヒステリーを法秩序より上位の審級と考えてしまっては、権力形態としては、オウム真理教と選ぶところがないではないか。(P154)

この事件は戦後の日本人の精神史にとってものすごく大きな問題を投げかけていくと思うんです。そのときマスメディアが作り上げてしまった、カルト教団のペテン教祖というイメージに徹してしまっては、日本人の精神史が抱えている問題なんて語れなくなってしまう。(P170)

反オウム・ヒステリーシンドロームと私が名づけるマスコミの流行病は、とりあえずは以上のようなところから始まったが、この病は流行しはじめるや否や、まったく異なる病気に変身した。実際にサリンの被害を被った方や、無実の罪で逮捕されたオウムの一般信者の方には、まことに気の毒なもの言いではあるが、この二ヶ月ぐらいの間、オウム真理教は、この国最大の娯楽であった。(P148)

僕がオウムの取材をしていると聞いたTBSの『ザ・フレッシュ!』がVTR取材でやって来て、オウムのアニメやマンガ戦略についてコメントを取りに来たのだが、そのなかで、質問者がしきりに、「アニメやマンガでは麻原や信者の顔が美化されて描かれている」とか「空中浮揚を絵で簡単に表現したこういうアニメを見て騙される人がいる」などということを僕の口から言わせようとするのである。(P186)

彼はなかなかの予言者であったのだろう。しかし、彼は富と力を得るにしたがって、急速にその予言の力を失っていった。真の予言者とは決して富と力を有してはならないのである。富と力は大きなノイズとなって予言者の勘を鈍らせるからである。この意味で、テレビに出る予言者はおそらく、誰であろうと予言の能力を失っているはずである。真の予言者というのはいつも無名である。(P222)





以上のようなものなんですが、テレビなどのマスコミの影響力ってものすごいもんがあるんです。その影響で警察が動いたり政治家が動いたりと。言いかえるなら、テレビは間接的に日本を支配していると言っても過言ではないと思う。

また、テレビは“反オウム・ヒステリー”とか“反オウム・ヒステリーシンドローム(症候群)”とか言われてるが、フジテレビも1995年5月10日放送の『FNN緊急報道スペシャル』でレポーターの浜田典子がおもしろいことを言っていた。

「灯りがついていなければ、この建物、ほんとに何をしているか判らないのですが・・・、もはや、いつ何が起こるか判らないと24時間体制で警備が続けられているこちら南青山東京総本部前です。」

それはもはやテレビであろう。テレビは何をやってるかわからない。テレビで述べられる“暴露”とか“真実”というものは上辺だけのものであろう。実際には『〜テレビ・マスコミの真実〜』として書かれているテレビ・マスコミっていうのが真実の顔なのではないか。

まだある(赤字は僕のコメント)。

〜わずかに明るみに出るテレビの素顔〜

1989年秋、TBS「3時にあいましょう」はオウム真理教・麻原彰晃の水中クンバカを取り上げ、オウム批判の急先鋒だった坂本弁護士にも取材。10月26日、オウム教団幹部がTBSを訪れて抗議。未放映のビデオを見せるように迫り、放映中止に。その後、幹部らは坂本弁護士と面会、11月4日に一家3名を殺害した。 以上の経緯は6年間表面化しなかったが、1995年10月、TBSが地検に坂本取材ビデオを提出し、19日に日本テレビが報道。TBSはこれを即日否定、96年3月11日発表の社内調査でも「ビデオを見せた事実はない」と否定。しかし、オウム幹部の供述が出たことから、3月25日に社長会見で認め、4月30日には「お詫び番組」「検証番組」を放映した。これが「報道のTBSは死んだ」といわれた、TBSビデオ事件(TBS坂本弁護士ビデオ事件)である。
HP『すべてを疑え!MANO'S SITE』 より


1989-12-24 日本テレビがアニメ『シティハンター』の中で麻原彰晃のサブリミナル放送

その他にもTBSもやってたとかやっていないとか聞いたことあるし、最近では『ピカチュウ』とかいうのでも話題になってたような気がする。サブリミナルとか使って視聴者に実験してたんじゃないか。つまり、我々は実験されていたということになる。

ドアホの日テレ、民主党から抗議される!(11/7)
 日本テレビのバラエティー番組「電波少年に毛が生えた」が3日、明治学院大学での鳩山由紀夫民主党代表の講演会の最中、出演者に鳩山代表を揶揄するような歌を歌わせ、居合わせた学生や大学側から抗議を受けていたことがわかった。民主党も5日、同局に抗議文を送った。その後、その場面は放送自粛することを表明したが、民主党への謝罪はまだ行っていない模様。番組スタッフには節度・常識という物がないのでしょうか?。入社試験のやり方を、もう少し考えたがいいでしょう。ふざけるにもほどがある、日テレ社長は民主党に土下座しろ!ところで、日テレ社内告発制度として発足した「ホイッスル制度」は」、今回機能したの?
 また、読売新聞はこの事件に関して、今日まで一切の報道も行っていない。これは、一種の報道管制であり、読売新聞の記事は信用できないことになる。
2002年 HP『怪奇現象の嘘』より


 自分たちの悪いことは徹底的に喋らない。バレたらようやく手を打つんだけど(辞職などして)、バレなきゃそのまんま。こんなのが日本と言うか世界を情報統制してるんだから終わりである。


テレ朝、やらせ発覚! あの企業体質なら納得です(7/16)   
 テレ朝が昨秋放送した京都府の暴走族を取材した番組で、「番組関係者から頼まれて走った」と暴走族が京都府警に供述した模様。警察は「やらせ」の疑いがあるとして、取材を担当したリポーターから道交法違反の疑いで事情聴取後、書類送検した。当然ながら、ご出演料として金品が渡されているでしょうから、これまた悪質!なお、テレ朝は今なお、事実を否定しています。警察・検察は嘘をついていると理解して良いのでしょうか?
2003年 HP『怪奇現象の嘘』より


テレビが「こんなことできる」っていうこと。だから、何度も言うけど、これらは氷山の一角で海面の下では「バレなきゃ・・・」って余罪はたくさんあるっていうか、それがほとんどなんじゃないかと。テレビは何か反論があるか?


“オカルト業界”は、派手なものはテレビと一般週刊誌が扱い、地味で地道なものはオカルト雑誌が拾い集めては広めるといった具合に成り立っていた。
雑誌『オウムという悪夢』(P24)より


要は、超能力者って、テレビが専売特許みたいなもんなんだ。そのような人たちが容易に多く集まりやすいのである。

それで、なぜテレビは超能力の存在を隠したがっているのかという問題。それはテレビは実際に超能力者を集めることも使用することも出来るので、それによって行われる戯れ(犯罪)がバレるのを阻止しているのではないか。テレビでは一般向けの超能力者、これらはいわゆる“インチキ”とか言われている、いや、言われてもいいような連中たちと、本当に能力を持ったトップ・シークレットの超能力者がいると思う。そやつらはトップ・シークレットなのでもちろんテレビには出ない。けれども実用されている連中たちだろう。僕はテレビによって行われているのではないかと思われる事件を知っている(その衝撃的な事件を知りたい方はメール下さい。教えます。)。もしそれを理解していただけるなら。第2、第3のオウムにテレビが成り得る、いやもはや成っているってことがわかっていただけるのではないか。

もう一度まとめよう。テレビとは、

現代における中心。それにより世の中が動いている。

すべてを娯楽(エンターテイメント)に替える。

ほとんどが虚構、欺瞞である。

製作者側の意思で鋳型(いがた)に容れられ、他人の口から言わせたり、やらせようとする。

その影響力は法より上位の審級である。

その権力で常軌を逸した悪ノリをする。しかも陰気に。

超能力者を手っ取り早く集めることが出来る。

それらの行為は戦後の日本人の精神史にとってものすごく大きな問題を投げかけていくことだろう。



 

 
 

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