3.解答の前に



 なぜ信じきってしまったのか? なぜそのような惨事になってしまったのか?
 これらの問題を解いていくためには、まず、教祖麻原彰晃について、そしてオウム真理教がどのような宗教観念を持ちどういう宗教団体だったのかを説明する必要があると思う。

 僕はこのオウム真理教について書くにあたり参考にした書物があります。それをもとに書いているといっても過言じゃないのでそれを紹介したいと思います。
 それは宝島社が発行した『別冊宝島229 オウムという悪夢』(1995年8月15日発行)という本である。
 この本は冒頭に書かれているのを見ると3つのテーマを持ってかかれている。

 1.オウムをわずか十年で熱狂的な「宗教集団」に膨張させたものは何か?
 2.知的で優秀な(純粋で率直な)若者たちがどのような教義に惹かれ、自ら望んで洗脳されたのか?
 3.「衆生救済」の思想がなぜ無差別テロにつながったのか?

 これらは1995年という、そのさなかに編集されたもので、これって、今、現在(2004)、テレビが論点としているものとまったく同じじゃないかと思われる。テレビの現在の論争っていうのは「1.テレビの白々しい「謎かけ」的報道」のページを見てもらえれば分かるがテレビも特番などを組んでそういうのは昔やってたように思われるのだが・・・。

 この『オウムという悪夢』という本でも、冒頭でテレビをこう批判している。


 この本にはワイドショーなどのオウムの犯した「猟奇的」な犯罪の虚実を交えた事細かな事実などあまり書かれていない。

 ワイドショーでは事件記者がオウム経営の食堂に乗り込み、「ハルマゲ丼」、「ポア酒」などを「常軌を逸した悪ノリだ」と糾弾し、わざわざ注文して食べ、「味はまあまです」とレポートする(どっちが常軌を逸した悪ノリだ?!)

 我々は目に見えない情報統制の中で、カビのはえた正義の物語を再生産しながら、一連の忌まわしいささえも「情報商品」として消費していく。当事者以外はすべて野次馬、あらゆる事件は娯楽となる。「正義」を装うことで、覗き見趣味が免罪されるだけなのだ。


 そこで、『オウムという悪夢』という本では、本の編集に関してこのような方法をとっている。


 1.マスメディアから得た情報をもとに論評するのではなく、可能なかぎり現役信者、在家信者、そして脱会者の「生」の声を聞き、そこから考える。

 2.多くの信者と同じ三十代の書き手により、同世代の身近な問題としてルポルタージュしていく。

 3.80年代分化がどのようにしてオウムを産み落としたのか、詳しく検証する。

 4.単なる「犯罪者集団」ではなく宗教団体であるととらえ、宗教としての問題点を教義に沿って論じる。


 というやり方で書かれてあるので、テレビの何かを隠したような、なんというか、真実味のないVTRや無責任な解説者の「奥歯に物がはさまったようなコメント」なんかよりも、ずいぶん僕は参考になる書物であると思う(テレビもこれ読んだ方がいいんじゃないの?)。

 
オウムという悪夢


では、さっそくその本をもとに麻原彰晃という人物を見てみましょう。

 


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2004/03/11 23:23:30