1.テレビの白々しい「謎かけ」的報道



 平成16年(2004)2月27日、フジテレビ系『スーパーニュース特報』(15:00〜16:59)で安藤優子がこんなことを言った。


安藤「なんで、あーゆう人間に一万人以上の人間が信じてくっついていったのか分からない。このいろいろな事件の最終的な結論を出すためには、あのなぜが解けないと、本当にこの一連のオウム事件というのは何時までたっても終わりが来ない。そんな気がする。」


 どの局の報道特番を見ても(テレ朝系は見てないけど)、だいたいこういうような事が論点とされ話されてたんだけど・・・、その安藤の問いに解説者の有田芳生がこう答えていた。


有田「オウム真理教の後継団体のアーレフを見てみると(背景を探ってみると)、“この社会ではいけない”とか、“自分の身体をよくしたい”とか、家族関係、親子関係の問題を抱えてる人が多い。だから寄る辺なき社会から、もっと安心できる居心地のいい所に向かって行ってしまう。それに対して、アーレフはインターネットなど様々な方法を使って信者を獲得したり、メールを使って“ナナコ”っていうあたかも女性であるかのような名で接近し、関係を深めて信者にしてしまうというのもあるので、その背景にあるもの。今の若者たちの心っていうものを日本社会は考えないと、麻原に死刑判決が下ったけれど問題の根本の土壌となる所は変わっていかない。


 ・・・。支離滅裂って感じかな・・・。僕はバカなので有田さんの言っている意味が理解できないんですけど、この文面から見ると一言でいえば、安藤優子に「そうですね」で済むことを長々と言っているように聞こえるんですけど・・・。
 アーレフの背景を探れば、問題を抱えてる人が寄る辺なき社会からより安心できる所に行こうとする? それに対してアーレフはメールなどを使って関係を深めて? えっ? 深い関係にして? 信者を獲得する? 

 「それに対して」ってことは前文の否定だよね? それで、「今の若者たちの心っていうものを日本社会は考えないと」って言うことは投掛けだよね? それで最後に「問題の根本の土壌となる所は変わっていかない」としめてるんですけど、問題の根本の土壌となる所って具体的になに? 僕たちに投掛けるくらいなんだからその根本を知ってるんじゃないんですかあ? 投掛けるってことはこの場合、「よく注意して運転しないと・・・」というような結果を知っている時によく使うよね。 なんか無責任な発言だなあ・・・。

 テレビ(そしてそれに携わる人)はそれを見てきたし、それを知っているはずなのに「この問題はこれで終わりじゃなくて、今からが始まりなんだ」とか言って、まるでドラマの第一話から“To be continued”みたいにドラマを制作している側は知ってるけど視聴者には「さあ、これからどうなるのかなあ?」と無知な民衆に演じて楽しんでるようで歯がゆさを感じる。

だから、僕がそれらを知ってるのでこれから書く。
 


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