10.オウムの信者たち



 でも、オウム真理教って、ヒエラルキーのトップは言うことは素晴らしく、神人のようなんだけど、実際は世俗的で金儲け主義でただのせこいオヤジなんだけど(もっとも予言能力とかテレパシーはあったかもしれないが)、オウムの信者はけっこうというかまったくなんですよ。
 テレビとか本とか読んでみると、オウムの信者って「みんないい人」と言われてるのが多い。それはどういうことか?
 それは信者たちがあまりにも素直だったからではないかと思う。入信する信者が本当に「一人でも多くの衆生を救済したい」と思っていることは間違いないと思うし、オウム信者って他の宗教と同様、悩みなどを親身になって考えてくれるし、相談にものってくれるらしい。
 オウムの信者たちは、60%ぐらいが女性なのだそうだ。でもオウムにいると女にもてないのだという。それは男女間が平等であるということと、出家信者にはあまり結婚を勧めないという仏教の教えからそうなってくると思うのだけど、男女間であまり会話はしないのだという。っていうか人との会話ってこと自体がほとんどされない、というかさせないんじゃないかと思う。見てる人はそれをみて「ロボットのようだ」と言った人もいるぐらいなんかサバサバとして話しかけても無視されたり相手にされないらしい。
 それはなぜか分かる。それは修行してるとグルとかに“パワー”(頭の上からザッと降ってくるような感じの力)をもらった時に、人と話すとそのパワーが逃げちゃうらしく、なるべくそのパワーを自分の中に置いておきたいのだからではないかと思う。僕もそういう体験がある。
 それで、もちろんオウムの信者は特に下のステージの人は麻原の言ってる“十戒”を守っているので(オウムの十戒ってわかんないですけど)、人は殺さないだろうし、セックスはしないだろうし、物は盗まないでしょう。だから危険じゃないんですよ。

 ではテレビとかのマスコミがなぜ「あのような危険な団体はなくした方がいい」などというのだろうか?

 それはタントラ・ヴァジラヤーナの教義があった為だからだと思う。

タントラ・ヴァジラヤーナとは?

タントラ・ヴァジラヤーナとは、グルに絶対的に帰依し、グルの命令であれば、殺人をも辞さないという教義である。


さあ、タントラ・ヴァジラヤーナに帰依するぞ
タントラ・ヴァジラヤーナに帰依するぞ タントラ・ヴァジラヤーナに帰依するぞ


タントラ・ヴァジラヤーナの帰依が必要である
タントラ・ヴァジラヤーナの帰依、
それは、グル、シヴァ大神、そしてすべての真理勝者方に帰依すること
そして、真理に帰依すること
そして、自分よりも少しでも霊性の高い者に帰依すること
そして、タントラ・ヴァジラヤーナの戒律に帰依すること
これを徹底的に実践するぞ これを徹底的に実践するぞ これを徹底的に実践するぞ


一つの法則とは何か
それは、仏陀を思念することである
そしてタントラ・ヴァジラヤーナにおいて、仏陀とグルは同等である
グルと仏陀は同等である
さあ、グルに帰依するぞ
グルに帰依するぞ グルに帰依するぞ グルに帰依するぞ グルに帰依するぞ
では、いったいグルとは何か
グルとは、すべての魂をポワするために生まれてきた生命体である
グルとは、すべての魂をポワするために生まれてきた生命体である

ポワとは何か
ポワとはすべての魂を高い世界へ移し変えることのできる儀式、
あるいは教え、あるいは実践を指す
したがって、
ポワの実践を行なうぞ
ポワの実践を行なうぞ
ポワの実践を行なうぞ
ポワの実践を行なうぞ


すべては結果である すべては結果である
強い、最高の心を持って、
そして救済を成し遂げるぞ 救済を成し遂げるぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ
救済を成し遂げるためには手段を選ばないぞ


タントラ・ヴァジラヤーナ、それは偉大なるシヴァ大神に帰依すること
つまり、シヴァ大神の教えを実技すること、
そして、仏陀に帰依すること、
つまり、覚醒へ至るための道筋をお説きになる仏陀に完全に帰依するぞ
そして、グルに帰依すること
それらを完全に説き明かすグルにすべての功徳を差し出し、そして帰依すること真理に帰依すること
グルがお説きになる、すべての絶対の真理に対して帰依すること
そして、タントラ・ヴァジラヤーナの秘密の戒律をしっかり守るぞ
秘密の戒律をしっかり守るぞ 秘密の戒律をしっかり守るぞ
これこそが、最も早く最高の境地へ到達する道である
これこそが、最も早く最高の境地へ到達する道である


さあ、わたしは完全なるヴァジラヤーナの実践を行なうぞ
完全なるヴァジラヤーナの実践を行なうぞ
完全なるヴァジラヤーナの実践を行なうぞ
そして、たとえ命を捨てたとしても、ヴァジラヤーナの実践をやめないぞ
たとえ命を捨てたとしても、ヴァジラヤーナの実践をやめないぞ


さあ、いよいよ聖書に説かれているハルマゲドンは近い
さあ、シャンバラの教えで予言されているような、聖と、そして邪の戦いは近い
さあ、アフラ・マズダー、グリフォンが登場する、
最終戦争はいよいよ目の前に迫っている
さあ、この最終戦争において必ず聖なる軍隊に属し、そして悪趣をポワするぞ
悪趣を一人で二人でもポワするぞ 悪趣を一人でも二人でもポワするぞ
ポワすることこそが救済である ポワすることこそが最高の功徳である
そして、ポワすることこそが自分自身を最も高い世界へ至らせる道である


さあ、わたしのこの実践がすべての魂を幻影から救い、
そして、すべての魂が救済されますように
偉大なる完全なる絶対なるグルに帰依し奉ります
最高の叡智であられる偉大なるシヴァ大神に帰依し奉ります
最高の覚醒を達成なされたすべての覚者方・真理勝者方に帰依し奉ります
完全なる絶対なる真理に帰依し奉ります
すべてのタントラヤーナ、ヴァジラヤーナの規律に帰依し奉ります
わたしの功徳によって、すべての魂がポワされますように
 
「ヴァジラヤーナの決意」 94年6月10日 より


 ポワって“殺す”のことだから、これを麻原は素直な信者に読ませて殺らせたと。
 その上、教団ビデオでも、

真理子−−ハルマゲドンまであとわずか。本当に急がないと、自分自身を救済するこ
     とすらおぼつかないわ。
公平−−−今から準備して、正しい高い転生をするためには、すぐに結果が出る、ヴァ
     ジラヤーナの実践しかないんだ。
     ヒナヤーナやマハーヤーナじゃ、救済のスピードが遅すぎるんだ。
真理子−−ヴァジラヤーナの激しい実践をするしか、残された道はないのね。
公平−−−しかもヴァジラヤーナこそが、解脱・悟りに至るための最も早い、最高の
     道なんだ。
真理子−−そうよね。尊師がわたしたちに最高の道を示してくださったんだわ。

 っと信じさせて、「ヴァジラヤーナこそ、グル、守護神、そしてダキニ(インドの密教で説く鬼神の一種。通力自在で人の死を六か月以前に知り、その心臓を取って食うといわれる)の守護のもと完全解脱を目指す最短の道である。」と説く。

 それはやくざ幹部への最短の道である。

 この教義が惨事の根本的原因であり、これさえなければゆっくりと小乗、大乗の教えだけであったとしても魂の救済はできたと思うし、オウムは危険な団体ではなかったはずだ。っというか人々から尊敬されるべき人たちだったはずである。しかし、有言実行の麻原のハルマゲドン(世界最終戦争)への“切迫観念”がヴァジラヤーナを急がせた。とみるべきか・・・。
 または、強制捜査へのかく乱のの為に衝動的にヴァジラヤーナを理由にやっただけなのか・・・。まあ、何にせよ、オウムにそのような教義がなければ麻原も合法的(己の宗教の中での)に“ポワ”を出来なかったのではないかと思う。


 話が横にそれていったように思うが、僕が思うに、麻原よりも「信者がすごかったのでは?」と思う。確かに、テレビや雑誌で“超能力”を取り上げれば、「自分もそのような力がある」と言ってくる人も多いという。でも、ほとんどがエスパー・伊藤のような人ばかりで、中には異常者もいるわけだけど、実際に本当にそのような能力を持っている人もいるわけで、そういう人たちが多くオウム真理教にも入っていったと思われる。
 実際に信者の話では、修行マシーンと呼ばれる井上嘉浩容疑者が自分の目の前で1メートル以上空中浮揚し、すっと着地するのを見てから熱心に修行するようになったっていう人もいる。テレビとかでも信者が座禅を組んでしばらくするとピョンピョンとそのまま浮いて前進しているビデオを見たこともある。水中クンバカ実験もそうだ。信者は15分ぐらい水中いることが出来たのに麻原はトータル15秒ぐらい。
 だから、麻原の“テレパス”“予知能力”っていうのは、信者にやらして尊師名義でやったんじゃないかとも思える。つまり、ゴーストライターのようなものの超能力版、ゴーストエスパーのような者を使っていたかもしれない。
 それほど優秀な超能力者が集まってただろうし、有名大学卒の医者とか、その他、優秀な人材が揃っていたということは事実であり、たとえ教祖が“ダメな奴”だと悟ったとしても、彼らの理想、そう麻原がタテマエとして掲げた理想、教義を信者たちは真面目に受け取り、実践しその夢の実現に向かって生きていたんだということだろうね。

 ある信者は言う。
 「オウム真理教という教団だっていつかはなくなります。器にすぎないんですから、必ず形を失う。でも教団が失われても、私たちの内側の信仰を壊すことはできません。」

 テレビはよく俗世間のことを“こちら側”、そしてオウム信者たちを“向こう側”とは“あちら側”とかで呼んでるが、オウムの信者たちは、世俗が嫌で出家したんだから、「帰っておいで」とか言っても彼らにとっては“そこ”が世俗より居心地がいいので居るわけなので、「帰って来い」っていうのはちょっと残酷なのかもしれない。

 麻原は裁判の時に、最初は「私は麻原彰晃です。松本智津夫は死にました」とか言って、自らの宗教論を展開し雄弁を振るっていたんだけど、形勢が不利になると今度は「麻原彰晃は死にました。」って言って松本智津夫となり口をつぐんでいるというような、それって、まるでプロレスの武藤敬司が残虐非道のグレート・ムタとなり、またミスター・ポーゴが「ポーゴ大王さまああー」とか言って、ペインティングをし直して「オレ様はポーゴ大王だアあ」とか言って善者と悪者を使い分けているように、“犯罪者の麻原は死んだ。だから今は罪を犯してない松本智津夫だ”という自らの宗教の信念をかなぐり捨てたような感じにも見えるが(どうせ、もし自由の身になったら“麻原彰晃”が復活するんだろうな)。

 でも、そんな自分の宗教をまったく信じてない教祖とは違って、信者はそれを信じてるわけで、今はもうタントラ・ヴァジラヤーナの教義は放棄してるので、暴君がまたでない限り安全な団体なのではないかと思うんだけど。




オウム真理教の教義は、小乗仏教(ヒナヤーナ)、大乗仏教(マハーヤーナ)、真言秘密金剛乗仏教(タントラ・ヴァジラヤーナ)、上座部仏教(テーラヴァーダ)、古代ヨーガによって構成されています。

(2000年2月4日施行)において、宗教団体・アレフの教義は、古代ヨーガ、原始仏教、大乗仏教に限定することを明示しました。そして、一連の事件に関係したと言われ危険とされる教義につきましては、当教団の教義として一切認めず、これを破棄すること、その実践を禁止することを明文化しました。

宗教団体アーレフHPより




 それと、テレビなどは「教団を解体すべきだ」とか、「そんな教団はなくするべきだ」と言っているが、解体したら約23億という賠償金は誰が払うのか? っということになるので必ずしも解体すればいいということだけでは済まされないと思う。
 

 
 

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